1989年当時の医学界のトランスジェンダー蔑視~上野正彦『死体は語る』に見る

元監察医・法医学者の上野正彦氏による『死体は語る』(単行本初版1989)。
たまたま聴いていたVoicyで「はあちゅう」さんがおススメしていたので、購読しました。

さて、こういうの、「あるかなー」、とペラペラめくると、見つかるんです(汗)

トランス関連。

「医学と法律」(文庫版153〜157ページ)

30年前は、トランスジェンダーどころか、性同一性障害に対しても、医学界は味方ではなかったんですよね。

いわく、「賛成しがたい風潮である。手術可能な国の医師たちの考え方を、じかに聞いてみたいと思っている。」とのこと。

戦後、性風俗が乱れ、東京に男娼が横行したころ(昭和三十六年)の話である。彼らの中には睾丸、陰茎を切除して女性のように形成手術をしたものがいた。このような手術は医療とは言えないとされ、わが国では医師法違反になることが明らかとなった。
そのときのやりとりが面白い。病気を治したいから医者にかかるのと同じで、女になりたいという強い願望のために手術をしたので、この手術は違法ではないと反論していたのである。(p153-154)
奇形でも何でもない健康な男性の体から、睾丸などを除去し、あたかも女性のように形成するのは、たとえ本人の希望であっても、わが国は医療とみなさないのである。
ところが、法律で禁じられても、希望者は遠く海外に飛び、手術可能な国で形成してくる始末である。法律そのものではなく、法の精神が理解され、生かされなければならないのにと、歯がゆく思うのである。(p154)

ついつい、今が当たり前だと思ってしまうものです。

しかし、つい30年前まで、こんなだったんですね。

若いトランスジェンダー・GIDが、「女装おじ」批判してるのを見ると、不勉強だなあ、と思います。

トランスするうえでの、社会的・医学的なハードルは、圧倒的に今と違っていたはずです。

まあ繰り返しますが、ついつい、今が当たり前だと思ってしまうのは、分からなくはないですが。

立会官から聞き、記載していたところ、名前は男なので、
「名前ですよ」
と念を押すと、立会官はニャニャしながら、
「先生、男なんです。とりあえず、何も言わずに先生に診ていただいた方が、面白いのではないかと思いましてね」
と、いたずらげに笑っている。
「ええ!男なの!」
体つきはもちろんのこと、乳房、外陰部も女であり、爪には紅いマニキュアが塗られている。検死を仕直し、性別の確認をしなければならなくなった。監察医にとって、検死の仕直しとは恥ずかしい限りである。
乳房は豊かに隆起しているが、触ってみると皮下に合成樹脂でも入っているようで、不自然さが感じられた。外陰部の陰茎は切除され、陰毛の間に尿道口だけが開口している。陰のう内に睾丸はなく、その陰のうはあたかも大陰唇のように形成され、一見女性にしか思えない様相であった。
「いやあー、参りました」
話には聞いていたが、実物を見るのは初めてである。見事に男が女に化けているが、医学的には睾丸も卵巣もないのだから、中性である。日本では手術はできないので、エジプトあたりに飛んで手術をしてくるらしい。赤坂界隈には、この手の女がだいぶいて、かなりの収入を得ているという。(p155-156)
日本もおかしな国になったものだと、嘆かわしくなった。オシッコをすると方向が定まらず、散水車のようになるのが唯一の欠点であると、古手の刑事のゼスチュアを交じえての説明に、一同は大笑いした。
それにしても、中性の人間が男にふられ、失恋するというのも不思議に思えたが、この人たちは精神的には女になりきっているというのが、正解なのかも知れない.
妙な気分になったが、賛成しがたい風潮である。手術可能な国の医師たちの考え方を、じかに聞いてみたいと思っている。(p156)

それにしても、いくら30年前の文だとしても、気分が悪い。

当時の上野正彦氏は60歳前後、今は90前後。

責める気もおきないお歳だけど、敵認定はせざるを得ない…。


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