「女性スペースを守る会」と三浦俊彦について

この手の議論(というかヘイトスピーチ)は、見るだけで苦しくなるので、すべて見ないようにしています。
【というか、トランスの当事者で体で困っている人は、この記事自体、みなくていいです。】

ただ、全国の銭湯に配ったなどという冊子と目にしました。
ちょうど、こうした問題をイスラーム法学的に見るとどうなのかな、という問題意識がありましたので、勇気を出して試しに当該冊子を見てみました。
(リンクは貼りません)

うーん…「思い込み」をしてるのはどちらでしょうか?
キリスト教が云々とかいう話もしていますが、話になりません。(精読、もしたくないので、いちいち突っ込みませんが)

学術的な装いで来るなら、学術的な仕方で潰しておかないとなと思いました。
とはいえ、あと2年くらい時間がほしいので、その間はまた目をつむることにします(精神衛生上)

ちなみに補足ですが、「ある程度の制限」はやむを得ないという点で、私も「女性スペースを守る会」の立場も理解はできますというか、ヘイトな言い方を消してくれれば、ほとんど立場は一緒かもしれません。(SNS社会では性悪説の人間観に基づく立法はある程度必要と考える意味で。彼ら彼女らがそこまで考えているかはさておき。)

とはいえ、彼ら彼女らが、「一つ制限を設けると、どんどん制限を増やす方向にエスカレートしてしまう」ということに自覚的なのかどうか。「ブスは女湯に入れるな」とかね、どんどんエスカレートしますよ。それだけの覚悟はあるのか。

三浦俊彦なんかに、頼っているようではダメです。第一、三浦俊彦は男です。三浦俊彦は、制限が増えたからと言って、関係ありません。窮屈な思いをするのは、女性たちです。
まあ、三浦俊彦が女装して女湯に入るのを防ぐことはできそうですので、それはいいかもしれませんね。三浦俊彦がこの問題にこだわるのは、案外そういうことかもしれませんよ。自分の性欲が暴走しないように、って。

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