見出し画像

一日や週の目標を立てて達成しても、「達成感」を得られたことがない。



Todoリストを最初に聞いたときは、天啓に走ったような思いになった気がする。実際に使ってみたが、どうにも合わない。息が詰まる思いになったくらいだ。

例えば、一日数千文字を書くと「決めて」しまうと、書ききったときの「よし、終わった〜」がなく、逆に意欲が減衰する。後日響くほどではないが、徐々に怠けてしまう心が出てきてしまう。もちろん、常に最高潮な精神状態であるわけではないので、怠け心が出てきてしまうのは至って当然の事だ。

本来Todoリストは、目標達成を手助けするツールであるはず。やることの優先順位を決めて、そのとおりに行うことで仕事や作業が捗るというものだ。ツイッターでも#今日の積み上げといった、Todoリストみたいなハッシュタグをみかける。自分もそれに倣って去年辺りから始めてみたが、どうにも違うなと漠然とした感覚が残る。

性来から怠け癖、逃げ癖、楽観主義、準備不足な自覚も有り、始めたTodoリスト。朝起きて、今日のやることを決める(または寝る前というのもある)。確かに大事なことは進んでいるし、達成感なんていうものを求めても仕方ないのだが、今日はある気付きに出会ったので一応記録として残す。

5月はある小説の3章のプロットづくりをしていて、今年に入ってから一ヶ月も小説の本文を書かなかった。正直、一ヶ月も離れてしまうと、執筆意欲がなくなると思い込んでいたのだが、プロットが完成して今日ようやく筆を走らせてみてそれは杞憂だと感じた。

書いたのはたった千文字。ほんの千文字だ。全体の1%も満たない。だけどこの始まりの千文字を書けたことが、先に続く実感を得た。おそらく「やらなければ」では心が弾まないのだろう。夏休みの宿題を嫌々やる気持ちに近い。

Todoリストで千文字書く、と決めていたら、翌日はどうなっていたのかわからない。普通に千文字以上は出力できただろうけど、充実感は今日の執筆作業より下にあったかもしれない。別に執筆作業に充実は求めていないし、正直不安の連続だけれど、光明はみえたのではと思ったのでした。

あとTodoリストや目標をたてる、を有効活用できるのは日々繁雑な日々を送っている人で、自分のような基本暇人には無用の長物でしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?