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生活が流れるのを眺めている

児島の本屋さんaruへ。
瀬戸内のおだやかな海を見下ろす、小さな本屋さん。

お昼ごはんを食べるつもりで行ったお店が臨時休業だったと話すと、お腹ペコペコでしょう、ときのこの山をくれた。壁際にあるひとり掛けのソファに座っていただく。サクサク、サクサク。本屋さんでお菓子を食べることってなかなかないよね、とそのアンバランスさに思わず笑った。

きのこの山と本屋さん。ありえなくはないけれど、想像からはちょっとはみ出した組み合わせ。
わたしたちは本屋さんを「本を売っている場所」だと認識しているけれど、この場所の果たしている役目はもっとゆるく広いのかもしれない。


バスは1時間後で、それまでここで過ごさせてもらうことにした。店主のゆかさんはパソコンで作業をしている。少しお話ししたあと、窓のそばに椅子を持ってきて、本を読む。昼下がりの光が足元に差してきて、ぽかぽかを超えて暑いくらい。

ラジオは羽毛布団のセールをお知らせしている。その次はビリヤニについて。とりとめのないことを流し続ける。生活。

自分のお店を持つこと。開店から閉店まで、一日の大半を過ごす。ひらかれた場所でありながらも、自分のテリトリーであり生活空間ともなる。お客さんのためだけではなくて、自分のためでもある場所。
「本を売っている人」「買いに来た人」のラベルが貼られていないというか。たしかに売る/買う、というの行為はそこにあるけれど、偶然そうなった、という方が近い気がする。わたしのような訪問者が、そこで流れる日常と一体になっていく、溶けていくような感覚。関係性につけられる名前に依存しない、それを超えて、同じ時間と空間を共有している。わたしを拒むわけでも、受け入れようと必死になるわけでもなく、ただそこに存在している、という場所。飾らない在り方が心地よい。


わたしもいつか自分の場所を持つときが来たら、こんな風に軽やかに漂いながら、でもしっかりと、構えていたいなと思う。

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