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わたしの旅暮らしをつくる #6|5/13-19

5/13

わたしの前にヘルパーしてた友人も大判焼きをよく買いに行ってたみたいなのだけど、大判焼き屋さんの中では、彼女とわたしはきっと姉妹なんだ、ということになっていたと聞いて、笑った。
短期間の滞在だと早く自分のことを知ってもらわなくちゃ、という気持ちが出てきてしまうけれど、暮らすことにはそのプレッシャーがないのだろうなと思う。

夏でしかないマリネ。トマトときゅうり。
これめっちゃ美味い。


5/14

遅めの昼ごはんに行ったら、知ってる顔がふたつあった。二人もここで偶然会ったそう。横並びのソファーに相席させてもらってぎゅうぎゅう詰めに座る。ひと段落した昼下がりだから、店主さんたちも交えておしゃべりをする。あまりにも居心地が良いから、わたしたち3人を見て「家で過ごしてるみたいね」と笑われた。
わたしにとってこれはまだ非日常な感じがするけれど、萩で暮らすみんなにとっては日常なのか、と考えてどこか羨ましく思う。

読書にちょうど良い木陰を見つけた。サガン読む。
少し下れば海だけど、すごく山に来たような風景。


5/15

ハヤシライスを作って早めの夕食をとりながら、海外のゲストさんとおしゃべりした。本当にたくさんのことを、英語で(時にはGoogleに頼りつつ)話した。旅を本当に愛していることが、言語は違えど通じ合って嬉しかった。「えっとー」ってものすごく言うね、いやいやそちらこそ“I don’t know”(≒ 関西弁の「知らんけど」)ってめっちゃ言うじゃん、って話でめちゃくちゃ笑った。2時間くらい経っていた。

日によって本当にrucoの雰囲気が変わるなと思う。今日は偶然ゲストさんたちの帰ってくるタイミングが重なって、わたしもちょうどシェアスペースにいて、おしゃべりが生まれたり、出たり入ったり、すれ違ったり繋がったり。この空間がすごく好きで胸がいっぱいになった。わたしはこのためにゲストハウスにいるのだ、と。普通に街で会ってもここまでの距離感にはならないだろうけど、(別に仲良くなろうとするのとも違うけど)なんとなく心をひらける関係性でいることを、ゲストハウスという空間が許している、そんな力を持っている感じがする。

明るい時間から夜ごはん食べるのもいいね。
ナスとしめじの(ポーク)ハヤシライス。


5/16

電車で島根県、益田へ。海沿いをずっと走る電車。今日は特に風が強いから日本海は白波が立って、水平線がまっすぐで、それが車窓から見ていてよかった。益田の川沿いをずっと歩いたからかもしれないけれど、萩よりも山が遠くて空が広いような気がした。自転車で駆け抜けるみたいな、もう夏だった。
今年の夏は長野で山を楽しみつくそうと決めて計画を立てたけれど、海の近いまちで過ごすうちに、海のある夏もいいなぁと思うようになった。ずっと萩いたらいいじゃん、とも言われるけれど今年は山に行くと決めたから、来年は海沿いで過ごすことにする。

普段はもう少し穏やからしい。
良き風景。石橋が昔ながらの雰囲気を出してて好き。
赤い屋根瓦が多い。


5/17

rucoスタッフのTくんが「JAで見つけたよ〜」とズッキーニを買ってきてくれた。わたしの一番好きな野菜。お菓子や柑橘をお裾分けしてもらうことはあったけれど、まさか野菜を分けていただくとは思わなくて驚いたし嬉しかった。さっそく輪切りにして焼いて塩胡椒振って(これがシンプルで一番美味い)食べる。安定の美味しさに思わずため息をつく。
半分ほどとっておいてTくんにどうぞ〜って持っていく。甘くて美味しかったよ、だそう。こうやってお裾分けしたりされたり、くるくる回っていくのが楽しい。子どもの頃に、キツネとタヌキの家族が「おかえし」「おかえしのおかえし」「おかえしのおかえしのおかえし」…とお返しを繰り返していく絵本を読んでわくわくした、その感覚とも似ている。モノにストーリーがくっついていくってこういうことだよな、と思う。

焦げ目がつくまでしっかり焼くのが美味しさのコツ。


5/18

萩に住む友人とドライブした。天気は快晴で、これでもかというほどの青い海と空、生き生きとした緑を見て、膝の下まで海に入った。買ったばかりだという車は「汚れちゃってもいいけど、汚れてほしくない」と言うから、乗るまえに全力で砂を落とした。
わたしは嫌われるのが怖くてすぐに人の顔色を伺ってしまうけれど、友人はわたしがすることに対してきっと嫌な顔はしないだろうな、と思えるから安心する。いいやつ。

角島の海。貝殻が水中にもたくさんあって歩くと痛い。
(見た目は綺麗だけどね)
田植えの前の、ちょうど水を張った時期が好き。
空が反射して風景が広く見える。


5/19

伝建地区、浜崎のイベントへ。思ったより賑わっていて活気があってびっくりした。普段は閉じている建物の窓や扉も開いているところが多くて、港町として栄えていた時代はきっとこんな風景だったんだろうなと考えるのが楽しい。そこの問屋さんで買い物とかしてたのかな。
知り合いにもたくさん出会った。やぁ!って挨拶できるのが嬉しい。rucoにいなければこの繋がりはできていなかったと思う、ほんとうに。

人の多いところはすぐに疲れちゃうから、
通りの外れの木陰で涼んだ。


いかにひとりで過ごせるかを考えながら暮らしている気がする。ゲストハウスだからどうしても人の気配は常にあるし、その中で心の休まる時間を取ることは大切だと思う。けれど、人と関わらないことを選ぶのって、ここでヘルパーしている意味はあるのか?とも思う。なんのためにこの場所を選んだのか、考えたいな。

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