なぜ妻に頭があがらなくなるのか?

◆ サラ川(サラセン)から

日本を代表する生命保険会社である第一生命が「サラリーマン川柳コンクール」を主催しています。これ、毎年楽しみにしている人も多いのではないでしょうか?

「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」(第29回第一位。「元自衛官」作品)

「あゝ定年 これから妻が 我が上司」(第28回第七位。「呼人」作品)

「妻が言う 「承知しました」 聞いてみたい 」(第25回第3位。「大魔神」作品)

「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」 (第23回第一位。「北の揺人」作品)

「オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る」 (第18回第一位。「反抗妻」作品)

「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」 (第13回第一位。「恐妻男」作品)

「『ゴハンよ』と 呼ばれて行けば タマだった」 (第9回 第一位。「窓際亭主」作品)

「いい家内 10年経ったら おっ家内」 (第6回 第一位。「自宅拒否症」作品)

「まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる」 (第5回 第一位。「遠くの我家」作品)

わが家の稼ぎは自分の働きのお蔭だと自負しているお父さん達が、仕事や接待などに追われている間、徐々に家庭での地位が低下していく様子が端的に示されていますね。これらの川柳が一位に選ばれているということは、日本全国でこういった不遇をかこつサラリーマンのお父さんたちが多いことを示唆しているように思われます。

それにしても、何故、結婚当初は初々しかった妻が、当時は想像も出来ないくらいに変わってしまい、頭が上がらない先になっていってしまうのでしょうか?

◆ 結婚とは?

そもそも、結婚とは何でしょうか?

辞書(大辞泉)によると、「結婚」とは「男女が夫婦になること」であり、「婚姻」とは「男女の継続的な性的結合と経済的協力を伴う同棲関係で、社会的に承認されたもの」とあります。ちなみに、「同棲」とは、「一緒に住むこと。特に、正式に結婚していない男女が同じ家で一緒に暮らすこと」だそうです。

同棲と結婚との最大の相違は、社会性、即ち、2人の仲が、2人だけの仲なのか、それとも親戚や世間を巻き込んだ形の仲になるのか、という点にあります。

結婚により社会性を得た2人の仲は、当然、対外的に色々なしがらみの中に絡められていきます。子供ができれば、尚のこと、様々な日常的なトラブルを解決する必要に迫られます。勢い、自宅にいる時間の長い者が、一家の暮らしをうまくまとめていくために、その処理を果たさざるを得ない状況に追い込まれていくでしょう。

そして、ここでいう「一家の暮らしをうまくまとめていくこと」とは、正に「家政」の定義(大辞泉)に他なりません。

◆ 家政とは?

さて、家政…と聞くと、服飾、調理・栄養、育児、児童心理学などが思い浮かぶ方は多いのではないでしょうか? 大学などで「家政学」を講じる場合、このような授業が設けられていることが多いように思われます。

家政の語源は、ギリシア語にあります。集団・組織(家)を表す「オイコス」(Oikos)と秩序を意味する「ノモス」(Nomos)とを組み合わせた言葉だと言われています。集団(家。オイコス)の秩序(ノモス)という意味で、オイコノミア(Oikonomia)という言葉が、家政術・家政学の意味で使用されました。

つまり、「家政」とは、家庭の内外の懸案に対して、人間感覚に基づいた妥当な解決を見出すための統制を行うことなのです。従い、本当に家政に注力するのであれば、家長は、家庭の経営(マネジメント)を行う必要があります。

さて、この「オイコノミア」(Oikonomia)ですが、経済学を意味する「エコノミー」(Economy )の語源であるとご存知ですか?

「家政学は、古代ギリシアにおいてオイコス(家)の学として始まり、家と秩序を意味していた。それはのちに経済学として形を整えていく流れの中で生まれている。ヨーロッパにおいては十六、七世紀あたりまで荘園などの大家族経営が貴族の仕事の中心をなしていたから、一家の長は幼い息子を馬に乗せ、荘園を回って経営の仕方を教えていた。オットー・ブルンナーの『貴族の農村生活』に示されているように、そこでは農学や畜産学、林業、醸造学などの基礎が現場で教えられていたのである。

 十八世紀以降産業化が進められ、経営と家計が分離されると、家計は都市部では主として主婦の仕事として位置づけられていった。アメリカやイギリスにおいては、このころから家政学は専業主婦の仕事として、主として調理や裁縫などに特化した学問として形成されていったのである。しかし十九世紀から二十世紀にかけて、環境問題が新たに提起されると食品の質の管理などに関心が集まり、家政学は産業社会と対決せざるをえなくなっていった。(中略)

 家政学は経済学の前身として始まった。近代になって経営と家計が分離してからは経営は男の仕事となり、家計は女の仕事とされてきた。しかしこのような状況は歴史の経過にすぎない。現在では家計が男性と女性の双方によって担われていることは自明の理であり、その事実が現在の家政学に反映されなければならない。」(※ 阿部謹也『学問と「世間」』116頁以下から引用。)

組織の秩序を意味する家政学は、元来は経営学・経済学・栄養学・農学・畜産学などを複合するマネジメントの学問でした。逆の言い方をするならば、一家の暮らしをマネジメントするためには、経営学(特にマネジメント)、経済学、そして(現在の意味合いでの)家政学の素養が、生活の実務に役立つように総合的・実務的に体得される必要があったということを意味します。

それが、産業革命により男手が工場や企業に割かれるようになったことで、収益に関するものを家政でみる必要が薄れ、家政の中心概念が家事に関するものに変質しきました。収益を生じる社会の仕組みについての考察は、経済学が経営学から独立して担うようになりました。

◆ 経済学の祖

この点をすこし掘り下げてみましょう。

一般に「政治経済学の祖」と言われるのは、イギリス人のウィリアム・ペティです。医師で、アイルランドの軍医総監やオックスフォード大学の教授(解剖学)などを務めた人物です。

国家経営にまつわる数字を表にまとめ分析しやすいようにし、その成果を基に政策提言を行ったため、「統計学の祖」とも言われます。

主著は『政治算術』で、1671年頃に書かれました。イギリスという国に対する経営コンサルの本として読むと、分かりやすいでしょう。

経済学における学派の嚆矢と言われるのは、時代が下って18世紀のフランスです。ルイ15世(在位:1715~1774年)の宮廷で医師として活躍したフランソワ・ケネーが、当時の混迷する社会・経済環境において、人間の体における血液の循環と同様に考えれば、経済社会における「お金の循環」が把握でき、経済行為が解明できるのではないかと閃いたのです。

この着想を基にケネーは『経済表』(1758年)を書き上げ、更に弟子のオノレ・ミラボー(伯爵。フランス革命の初期に活躍。)等とともに『農業哲学』(1764年)を著し、重農主義学派(農業を大事にすることが経済政策の基本であるべきと考える一派)を成立させました。

そして、その後になって、アダム・スミスの大著『諸国民の富の性質と原因の研究』(1776年)が登場します。

一般的に、スミスこそ、経済学を誕生させた人物と目されてきましたよね?

先行者がいるのに、何故でしょう?

アダム・スミスは、グラスゴー大学の道徳哲学・論理学の教授でした。彼が、法学と経済学を、道徳哲学の応用問題として理解していたことは良く知られています。

その主著『諸国民の富』は、スミスの母校であるオックスフォード大学の先人たちや、フランスで交友をもったケネーの研究などに影響を受けてはいますが、「分業」と「市場」いう一般的・普遍的な要素によって新しい秩序としての市場経済が発達していることを論証したという点で、(特定の経済主体のための処方箋としての)経営コンサルティング的な意図から経済を分析しようとした先人とは目線からして異なっていました。

アダム・スミスの論説に影響を受けた人々が、市場経済の発達と関連付けて、一般的・普遍的な理論の構築に向けた論説を発表していくことで経済学が発展していきました。その意味で、まさに「経済学は、商業革命を経た西欧において、市場経済が従来の社会の伝統的な生産組織を再編成するなかで成立した」(※中村達也ほか『経済学の歴史 ~市場経済を読み解く~』P.2) と言えるでしょう。

家政=マネジメント=経営=経済 のつながりが、ここで切れてしまったのですね。

◆ 妻に頭が上がらなくなる理由

以上を基にして、冒頭の課題であった「妻に頭が上がらなくなる理由」を考えてみましょう。

ポイントは、一家の暮らしにとって重要なのは、「家政」つまり一家のマネジメントを執り行う人物が誰かという点にありました。

男だから、父親だから「家長」という訳ではないのです。

夫がマネジメントをしていれば、夫は「家長」であり、妻は国家老(くにがろう)の役割を果たすことになります。

しかし、夫が一家の外にばかりいて、「家長」としての責任放棄をしていると、一家の所属員(妻・子供など)から見做されてしまった場合、妻が、やむを得ず(なし崩しに)「家長」の役割を果たさざるを得なくなります。

そして、その場合、一家の働き頭であった筈の夫は、外部から金銭を獲得する「営業課長」程度の扱いに格下げを受けるでしょう。そして、妻は、家長として、夫である営業課長の働きを良くするためのサポートをするようになりますが、この段階で夫の営業成績が悪いと、その管理体制を強化することになります。

「ねぇ、あなた。聞いてくれる?お隣の奥さんがね。」

「あのさぁ、今日、疲れてるンだよねぇ。今度、落ち着いたら聞くから、近所付合いくらい、上手くやっといてくれよ。」

「あなた。お義姉さんのことなんだけど。今日、電話があったんだけどね。」

「あぁ、姉さんも寂しいンだよ。適当にあしらっとけよ。」

このような会話は、家長機能の喪失を宣言したものと受け止められるでしょう。家庭に居場所を失い不遇をかこつお父さんたちは、そもそも会社での事情などもあり、サービス残業を繰り返し、土日もゴルフ接待などをせざるを得ない状況に追い込まれているうちに、徐々に一家の家長の機能を失い、家庭における地位を格下げされる憂き目に遇っていたのです。

まったくと言ってよいほど家を顧みない生活をしていながら口を出せば、「あなたは何も分かっていない」と妻に3倍返し・10倍返しを受けることは必至。面倒を避けようとすればするほど、ドツボにはまってしまうのです。

地位の回復ないし格上げのためには、奥さんとよく相談し、家庭の経営(家政)に積極的かつ主体的に携わることが重要となるでしょう。そのためにも、会社で精力を使い果たさぬよう、ワーク・ライフ・バランスをとるように努めましょう。

恥ずかしがってはいけません。男性がくすまずに輝けるようになると、世の中全体がもっと輝くのですから。

最初の数回はつらいかもしれませんが、自信をもって、そして長期的視野で、奥さんに接して行きましょう!



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