見出し画像

血のようなヘドロのような悲哀と憤怒の波に溺れる。

原宿や表参道の混雑した通りにあるショッピングモールの3階にこの展示会はひっそりと開催されていた。

アニッシュ・カプーア_
奪われた自由への眼差し_監視社会の未来
Anish Kapoor Looking at the Deprived of Freedom

サーベイランスシステムがいつの間にか網の目のように街中に張り巡らされている。目に見えない「監獄の誕生」が現前化し、現代社会において私達が統制され監視されていることに気づかされる。

アニッシュ・カプーアの作品は人間存在そのものに潜んでいる情動を表している。監視の下で統制されている人々が自らに内在しているカオティックな情動に気づかされていないが、作品を見ることで自らのカオス(不条理)と対時せざるを得なくなり、その存在に気づかされるという展覧会構造になっている。

人間存在そのものを映し出すカプーアの芸術作品(鏡)が、現代社会における監視メカニズムを浮かび上がらせる契機となり、その作家が、奪われた自由への眼差しを我々に向かって投げかけているということを示唆する。


我々にとっての真の自由とは何なのか?正直、私はこの作品群からただ危ないよ〜と監視されているよ〜というメッセージを伝えているだけではないと考える。テキストとしての情報ではなく、色を通して感情を伝えている藻だと考える。

出る時に鏡に写った自分の姿を見た。鏡というのは、見る見られるという能動でありながら、受動である。鏡で見た自分が本物だと錯覚する。写真で見る自分は少し違う。左右が反対になった自分が本当の自分だと勘違いする。それも、無意識に。

全体性という怪物

展覧会会場では、カプーアの不確実な、そして断片、中間物、切断物に充ちたオブジェ作品の設置よって、形成と変形のゆるぎないプロセスを提示している。

圧倒的存在感を放ち、見る者に突きつける深遠な精神性を持っている作品群。対照的な明るい青と紫の中で湧き出る深紅の赤は、直感的で意図的な視覚的なストーリーテリング装置としてひっそりと機能していた。

カプーアは「赤は暗く、もちろん血ですが、内臓的な深みがあります。赤はそれ自体が詩的な存在であり、生命と死を支えるものとして神秘的です。色は決して受動的なものではありません。私は常に色を表面ではなく「様相」として探求してきました。水に浸るのと同じように、色に浸りたいと思っています。色は空間を拡張します。それはより多くのスペースを作ります。色は新しい現実を生み出す」と語っている。

それは、まるで断片化された現在、過剰な情報の波に飲まれたようだ。常に蠢き、何かを孕んでいる様子が悍ましいと感じると同時にその積層された澱みが美しいとも感じる。時に何かのメッセージを伝えようとしているのでは?とも考える。

不気味な粘着性のオブジェクトは今の世界の裏側の脅威、人間のエゴ、支配欲など黒い感情を表しているように思えた。そして、それらが現実世界を侵食しているかのように感じ取れた。

展示会は2024年1月28日まで行われている。ぜひ原宿、表参道を訪れる機会があったら、足を運んでみることをお勧めする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?