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metaPhorest Biome 生物学実験室におけるアートの生態系

7月27日(土) 17:45-18:20
30分ぐらいで回れるこぢんまりとした展示会。

最初に展覧会の概要を紹介する。

本展示は早稲田大学時券盤研究能を提点とする、生命表学のプラットフォーム「metaPhorest」の約10年ぶりとなるグループ展である。植物や昆虫微生物に人工知能といった生命、あるいは生命らしき者をテーマとする数多くの実践が一堂に会し、現代的な問題との応答を行う。

展示コンセプトは以下の通り。

現在、我々の「生命」の概念が大きく揺らいでいる。
クローン技術や遺伝子編集、人工細胞の登場など、生命科学の発展は、人の手による生命の編集と創造を可能とした。また、AI技術の急速な伸張は、ChatGPTのような、人間とのコミュニケーションを可能とする人工物を生み出した。今日では、気候変動の問題を背景に隆盛した人新世の思想などが、人間中心的な生命観の見直しをうながしている。
こうした背景のもと、生命科学の展開を参照したいわゆるバイオメディア・アートや、今日の「環境」機念を再考するエコロジー・アートの潮流が世界的な盛り上がりを見せてきた。
2013年以来のグループ展となる今回は、metaPhorest でなされてきた「生命」への探求の成果を、作中に登場する生物種や、制作者であるアーティスト・研究者を含む生態系としての「Biome(生物群集)」として提示する。それは、冒頭に紹介した近年の「生命概念の揺らきの問題」と響き合うものとなる。
また、本展示では以下の二点にこだわり、いわゆるバイオメディア・アートの鑑賞経験に新たな広がりを与えようと試みる。
第一に、作品を目の前にして、そこに生きる生体から感じ取れる生々しい鑑賞経験だ。いわゆるバイオメディア・アートは、作品の写真や映像といったアーカイブを中心とした展示形式をとることも多い。しかし、本展示では、生物の物質性や実在性に着目し、生きものであり、芸術作品でもあるという特殊な存在との直接的な対峙を重視する。
第二に、アーティストと、長期に渡って制作上のパートナーとして存在してきた、『伴侶種』としての生き物との関係だ。生物学的な視点や手法を導入した芸術実践においては、取り扱う生物への知識や技術が要される。また作品政策においても、生物の成長や死滅世代交代といった通常の作品政策とは異なる時間の流れが存在している。いわゆるバイオメディアアートには作品と言う結果に至るまでの他者との時間と記憶が隠されている。15年以上にわたるメタフォレストの歴史の中で、多くのアーティストたちが、自らの搬入者となるような生き物たちを見つけ、関係性を築いてきた本店寺は、そうした過程の一部でもある実験記録やフィールドノートなども見せて見せることで、作品の後継への接近を図る。

場所は新宿駅と大久保駅の中間に位置するWHITE HOUSEという古民家。普段はカフェやバーとして使われている様子。

会場はそこまで広くなかった。最初に入り口付近で入場料500円を支払い、キャプションが書かれているパンフレットをもらった。これを見ながら作品を鑑賞してほしいのだろう。だが雨が降ってきたためちょっと走ってきた私はそれどころではなかった。雨と汗という洪水に襲われながらもハンカチで彼らを堰き止める。さらに写真を撮りながらの鑑賞であったため、個人的にはリーフレットを見ながらの鑑賞は大変だった。正直、壁にキャプションを設置してほしかった…。という戯言を心の中でぐちぐち言いながら、いざ鑑賞。

最初は、【ミジンコを真似て泳いでみる/ Try swimming like a"Mijinnko"】という作品。

「自分はミジンコのような存在だ・・・」日本では、ちっぽけな存在としてヒトをミジンコで喩える表現があるが、我々はどこまでミジンコに似ているのだろうか?
本作は、ミジンコが生きる環境を再現し、動きを模倣することで、ミジンコの知覚を探求するプロジェクトである。水より10,000倍高い粘度(はちみつと同程度)の液体で流体の流れを似せてパフォーマンスを行い、運動学や生理学的観点でヒトとミジンコの違いを考察した。

実験を映像作品で紹介している。ミジンコの動きを人で再現したらどうなるか、この手法は自分ごとにできるなと感じた。スケールを考えさせる作品。最近、アリもオリンピック短距離選手と同じ速さで動いているということを本を読んで知った。ただ動きのみならず、その環境も再現しているのは説得力が増す。

このように粘性の高い液体の中で泳いだらしい。

1階中央には、実験ノートが作品と共に紹介されている。

実験ノートを開いたら、ファミリーマートのレシート笑。

よく見たら、むにょむにょ…と何かが動いていた。じぃ〜っと眺めていたら芋虫だと気づいた。一瞬でこの作品の趣旨を悟った。蚕だ。蚕の吐く糸で作る服。人はなぜ芋虫を不気味、気持ち悪いと思うのだろう?

フライドチキンの魂を所在を探し求めているマッドサイエンティスト感。

【the Male or Female】
市場で販売されているチキンからDNAを採取し、元の鶏がオスであったか、それともメスであったのか性別を判定するプロジェクトのプロジェクトブック。普段何気なく購入し食している鶏肉だが、生産地や品種を気にすることはあるのに性別についてはあまり意識されていない。その気づきからプロジェクトを開始。この本には2年掛かりで実験を重ね進めてきた過程と結果がまとめられている。

相反する”フライドチキン”と”実験”を組み合わせたシュールな作品。

【the Male or Female】
チキンの原型の骨がそのまま入ったチキンの彫刻。食後にただ廃棄されてしまうチキンの骨への関心から制作した。

実験の過程を余すところなく見せてくれるのが良い。さらにいかにも研究中であるかのように雑多な机の感じが素敵。フライドチキンの模型が置かれている…!!

よく見るとミッケみたいにいろんなものが並べられている。トマト…??

ミツバチの巣でできた照明と説明用資料。

【Eaten colors】
Eaten colors は、微生物によって変化し続ける作品である。色素に染められた食物を真正粘菌の変形体が食べ、自身の身体で色を運び、広げていく。
粘菌には色の好みがあり、粘菌が選び、好んだ色によって、色のパターンが変化する。また、粘菌の他にも、粘菌の食物に誘われたり、粘菌と共生しているカビや細菌といった微生物も共に作品の様相を変化させていく。
粘菌が色素を選択し、食物として取り込み、排出する行為は、人間が絵画を制作する行為と照らし合わせると「粘菌による色の選択」とみなせ、その軌跡は「粘菌による絵画」とみなすことができる。こういった粘菌の色素選択は一見単なる自動的、外的な反射、反応である。しかし、人間の制作行為にも外的な反応の側面があり、内的な意思と切り離せないものだと考えられる。粘菌の色素に対する反応をあえて積極的な選択行為、制作行為とみなすことによって、制作における外的/内的側面の両義性を逆照射することを試みる。また、再現可能な実験装置のようなものとして作品を制作することで、粘菌の動きの予測不能性に対して焦点を当て、創造生とみなせるような側面をあぶりだし、「人間だけが芸術作品の作者になれる」という人間の観念に疑問を投げかける。

【aPrayer 1.0 まだ見ぬ作られしものたちの慰霊(人工細胞たちの慰霊)の一部/aPrayer 1.0 memorial service for artificial cells/lives (part) 】
生命(細胞)を人工的に作ろうとする試みは、生物学研究の最も先鋭的な領域だ。自然科学的な生命の定義を実装しようとするその試みは、同時に「それは本当に生きているのか?」「生命性はどこに宿るのか?」という問いを新たに召喚する。そこに、最も伝統的かつ体験的に死生観を育んできた「慰霊」の補助線を引くことで、「人工細胞にとって死とは何か、慰霊に値する存在か、そもそも慰霊とは何であったのか」といった問いが逆照射される。

【aPrayer 3.0 まだ見ぬ作られしものたちの慰霊(人工知能の/による慰霊)/aPrayer 3.0memorial service for and by artificial intelligence】
人工知能は、しばしば「死なない」と言われるが、自明だろうか。「死なない」という人工知能は、では「生きている」のだろうか。そもそもAIにとって死は何を意味しているのだろうか。仮にAIが死ぬと思える場合があるとしたら、それはどのような場面においてだろうか。その時、AIは慰霊に値する存在なのだろうか。いや、逆にAIが我々を慰霊する存在になるのだろうか?死にゆくAIとは?吊られているのは、機械学習のプログラムが収納されている劣化したメモリ類(USBメモリやSDカードなど)や使い古したサーバやPCケースである。これらはAIの亡き骸と言えるだろうか?プロジェクトされている動画は、39か国の言語で死や葬儀にまつわる単語を画像検索することで集められた画像群を深層学習させて自動生成したもの。次々に立ち現れてくる文字列は、古今の死にまつわる例文(名文とされるものなど)を大量に学習させて生成させた文言だが、自動生成の過程でブログラムは徐々に参照能力(記憶)を失っていき、次第に意味が読み取りづらい文言になっていく。別のディスプレイにスクロールされている膨大な文字列は、学習させた元の文言だが、これも忘却率が高くなるにしたがって判読しにくくなっていく。

【©HeLa - Copyright Henrietta Lacks】
1951年、ヘンリエッタ・ラックスは癌と診断され、生検が行われ、間もなく死亡したが、彼女の細胞は死ぬことを拒否し、象徴的で、よく研究された不滅の「HeLa」細胞株となった。写真の著作権は、写真を撮った人に自動的に取り消し不能な形で譲渡される。©HeLa は、物理的、生物機械的インターフェースを作り、HeLaがカメラを操作し、写真を撮り、質問することを可能にする。写真の著作権は誰のものですか?そして、HeLaの身体の権利は誰のものですか?


【金魚解放運動/Goldfish Liberation Movement】
金魚の祖先は野生のフナであり、1700年間の品種改良を通じて多種多様な品種が生み出されてきた。鑑賞と愛玩を目的にデザインされた金魚たちは、その姿形から自然環境下で生き抜く力を持たない。本作は、金魚を逆方向に品種改良し直すことによって、祖先のフナのかたちへと戻す試みであり、5年以上の歳月を費やして実行されている。この営みを通じて、生命の操作にまつわる欲望や美意識、あるいは人間と他生物の相互作用や共進化について思考する。

空間設計が独創的。おそらく既存の施設だと思うけど天井にトイレ…そんな環境下、バスタブに金魚たちを泳がせる。便器内じゃなくて良かった。
金魚の掛け合わせ。時間のかかるプロジェクトだけど研究的で好き。近親交配じゃないか心配になる。もしそうだと闇を感じる。


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