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Jesusは本当に人の罪を背負ったのだろうか。

Jesusの磔刑は、キリスト教徒に限らず、他の宗派を信仰している人、無心論者も含めて、広く世界中に知られている「有名な」出来事。

イエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、死刑の権限のないユダヤ人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡され、公開処刑である十字架に磔となって処刑されたというものである。
キリストの磔刑 - Wikipedia

歴史の教科書にも載っているような内容で、恐らく史実だろうとされている。

ただ、キリスト教の教義では、「イエス・キリストの死によって、人の罪が赦された」と教えているようだが、本当だろうか。

これに関連する記述は、以下のようなものがある。

3:21しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。 3:22それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。 3:23すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 3:24彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。 3:25神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、 3:26それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
ローマ人への手紙

この内容に近い記述は、以下の書簡にも出てくる。

コリントの信徒への手紙一 1章30節「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」
エフェソの信徒への手紙 1章7節「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」
コロサイの信徒への手紙 1章14節「わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」
贖い - Wikipedia

ただ、私はこれらの記述を読んでいて、非常に違和感を覚えた。

「主張」しているのはあくまでもパウロであって、Jesusは人間の罪を赦すとも背負うとも言っていない。

Jesusが主張していないにも関わらず、パウロが主張していることを受け入れているのはどうしてだろう。

イエス・キリストを信じさえすれば、罪が許されて、天国に行けると考えるのは、あまりにも浅はかではないだろうか。

大体、Jesusが人の罪を背負う必要は全くない。

人の罪とは、人間が失落した行為を指すようだが、その原因を作ったのは、人そのもの。

もし、失落していないJesusが背負うことをすれば、その人の原因と結果の世界に巻き込まれてしまい、それこそ、世俗に迎合する存在に落ちてしまうのではないだろうか。

神との繋がりが途絶えずに存在したJesusがそうすることはないだろう。

ましてや、現代のキリスト教徒の罪を背負うなんてことはない。

自分の罪をJesusに背負わせる・被せること自体、Jesusを冒涜する行為である。

クリスチャンには気に留めていただきたい重要なことがある。

異邦人を攻撃し、ユダヤ人を迫害し、卓越した能力を有した女性を魔女として処刑するなど、血塗られた歴史を繰り返してきたのは、他ならぬカトリック教徒ではなかっただろうか。

免罪符を乱発し、私服を肥やして影響力を増して腐敗させた世界を作り出したのはローマ教会ではなかっただろうか。

新大陸を見つけるや否や、土着の文明を滅ぼし、人の自由や財産を奪ったのはキリスト教国のスペインやポルトガルではなかっただろうか。

イエスが説いた「隣人愛」をそれこそ反故にして、他者を迫害し弾圧し殺戮する。これが中世〜現代にまで続いている。

その元々の「過ち」は、パウロによるイエスキリストの磔刑の解釈にあると、私は思うのだが、敬虔なクリスチャンはどうお考えだろうか。

Jesusが説くことよりも、Jesusが去った後に行った、パウロの解釈がメインになっているため、私は福音書以外はあまり読まないようにしている。

では、今回はこの辺で。Shalom!


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