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「信頼する」は善というより能力(12月第2週の週報)
今週は自分の琴線に触れたもののキーワードが信頼とか友情とかに集約される一週間だった。
もがちゃんの公式LINEを読んだ後のツイート↓
もがちゃんが「裏切られた」みたいな話するたびに、それでも毎回他人を信じようと試みてることがわかって偉いなあと思うよ
— ありま (@arima08) December 9, 2019
本当に人間を諦めていたらそこまで裏切られたと感じることも、これだから人間はという気持ちになることもないわけで
— ありま (@arima08) December 9, 2019
スタートゥインクルプリキュアの録画見た時のツイート↓
スタプリ録画勢なんだけど、「自分と違う姿形や心を持っただれかとどうやったらお友達になれるか」ということを「自分と全く違う相手と完全に分かり合うことはできなくても、まず自分が相手を理解しようとすることはできる」ということで示した回もあった中で
— ありま (@arima08) December 10, 2019
ララがクラスメイトを守った回では「そして相手が自分を理解してくれなかったとしても、自分が相手を好きでいることはできる」という友情をララが示したことに、なんて高度な愛なんだと泣いてしまった
— ありま (@arima08) December 10, 2019
スタプリは映画もだけどもう何回も泣いてる!!ノットレイダー(今作の敵集団)の幹部達もただ悪いんじゃなくて人を信じることも愛すことも友情を築こうとすることもできなくなってしまったのは過去の記憶やトラウマが彼らを苦しめて、その記憶が「もう二度とあんな思いをしたくないのなら他人を信じるな」と彼らを縛っているんだよね。悲しい記憶が自分の心を歪めてしまうこと、きっと誰にも心当たりがあるはず。
翻って今日の自分に至るまでのことを「信頼」とか「友情」とかいうキーワードで振り返って考えてみて、圧倒的に自分には欠けているところがある、原因についてやそれにまつわる記憶に一通り考えを巡らせへこんだ後に書いたブログがこれ
人のものの考え方や指向性みたいなのって、単純な正解不正解の話じゃなくてその時その時「今はそう思ったりそのように行動するフェーズを踏まないといけない段階の人だからそういうことを言ってるんだ」ということに集約されていく。だから「前と言ってること違う」と指摘することは誰にも無意味。
「あ~~~他人だれも信じられません!!もう人間不信!!」と叫ばないといけない段階にいる人もいれば、「めちゃくちゃ他人の言動を観察して、その人の傾向を掴んでそれを『信頼』の代替とする」的な段階にいる人もいるけど、その中で今の私は「一度信じると決めたら、『本当にこの人は信頼に値するのか』を計る前に、まず本当にその人を信頼することから始める」という術を身に付けないといけないフェーズにいるんだろうと思った。
それは善というより技術や能力だ。
もがちゃんのツイートやスタプリを見た後そういう考えに至っていた時にたまたまテレビを付けたらやっていた、サンリオエンターテイメントの社長の小巻さんという方のプロフェッショナルでもまさにそういう話をしていてすごく今の私にはタイムリーに感じた。
そんな一週間でした。
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