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I love youの日本語訳は「月が綺麗ですね」ではなくて「関白宣言」だと思う


女性の権利に対して女性の私から見てもちょっと過剰すぎる反応があるように感じられる現代の中で、こんなこと言ったら白い目で見られるかもしれないが、どうしても言っておきたいので言っておく。


「さだまさしの関白宣言に優る愛の詩(うた)があったら、是非目の前に持ってきてほしい」


1979年、さだまさしは関白宣言を書いた。
私は1990年代生まれなので、若干世代が違うというか、特にさだまさしにキャーキャー言う機会もなく大人になり、彼も彼の歌もよく知らなかったというのが正直なところである。
だが、関白宣言のタイトルは非常に有名なので知っていて、なんとなく文字面から時代錯誤な歌なのだろうなと勝手に思っていた。

ところがある日、尊敬する師匠に「関白宣言、ほんと素晴らしい歌だから」と言われ、そうなのかーとはじめてフルで聴いた私は度肝を抜かれてしまった。

なんだこの!!!愛の!!!歌は!!!

話題の歌は以下のようにはじまる。


_________

お前を嫁にもらう前に言っておきたいことがある
(中略)
俺より先に寝てはいけない
俺より後に起きてもいけない
_________

おお、おお。
だいぶ物議を醸す冒頭だ。
もうここだけで女性の権利に敏感な人間からは格好の餌食だろう。
妻は家政婦じゃないとか、自分勝手すぎるとか、パートナーの時間をなんだと思っているんだろうかとか。

他にもだいぶ危ない橋を渡っている感じの箇所がある。

黙って俺についてこい
とか、
浮気はしない、たぶんしないと思う、しないんじゃないかな、ま、ちょっとは覚悟しておけ
とか、
お前は俺のところへ家を捨ててくるのだから帰る場所はないと思え
とか。

もうこれだけで顔を真っ赤にして唾を飛ばしながらけしからんと憤慨する方々が何人もいそうだ。

私もここで聞くのをやめていたらそう感じていたかもしれない。
ところが最後、こう続くのである。


_________

子供が育って歳をとったら
俺より先に死んではいけない
例えばわずか1日でもいい
俺より早く逝ってはいけない
_________

………

なんてことだ。
冒頭の「俺より先に寝てはいけないし、後に起きてもいけない」の意味がまるっと変わってしまった。

つまり、彼は自分の目が黒いうちは、動いている妻の姿を1秒でも長く目に焼き付けておきたいのである。
大好きな彼女が生きているということを全身で感じている時間が彼にとってかけがえのない時間であり、時に怒られたり、時に泣いたり、そして大体は笑いかけてくれていたら、それが彼の目に写しておきたい愛しい時間の全てなのである。
子育てもしたいけど、子どもより妻なのである。
歳をとってまた夫婦でゆっくり過ごしたいのである。

俺の世話をするために起きろ。ではない。
俺が君をいつまでも見ていたいんだ。だから起きていてくれ。という懇願なのだ。


__________

お前のお陰でいい人生だったと
俺がいうから必ず言うから
__________


痺れる。
俺がお前を幸せにしてやる(ドヤ)ではないのだ。
俺がお前を幸せにしてあげられるかはわからないけど、頑張るから。すごく頑張るから。
ひとつ確実なのは俺はお前と一緒なら幸せになれるんだ、頼む、一緒にいてくれ。という告白なのだ。

なんだこのとても日本人らしい奥ゆかしい不器用な、でも純粋な子どものような愛の歌は。
いじらしい!!!可愛い!!!可愛すぎる!!!
不覚にもグッときてしまった。


日本人っていうのは、兎にも角にも曖昧さや遠回しの表現を美とするものだと感じている。
特に、ストレートな愛情表現なんていうのは苦手な部類の民族なんだろう。
だってもともと、愛=Loveなんていう概念は日本には存在しないものだったのだから。

少し歴史をさらうと、愛というのは西洋からきた概念である。
キリスト教の愛と言えば分かりやすいだろうか。
誰かに対して無償の愛を与える、施すことが愛であり、それをするものは神から祝福として愛を与えられていると考えているのが西洋である。

だがしかし、日本には、恋しい・愛しい(いとしい・かなしい)というニュアンスはあったが、所謂「愛している」という言葉はなかった。
愛はどちらかというと愛欲や性欲にかなり直結したニュアンスであり、執着の意味合いを強く持つドロドロな到底美しいとは言い難いものだったようだ。
基本的に、相手との繋がりや相手を想っている様というのは、恋しい・愛しいと表現され、愛=Loveという概念が広まったのは明治らへんらしい。なんともまあ短い歴史だ。

だからだろうか。
やっぱり日本人の私は「愛してるよ」なんて言われると、とっても嬉しくて、でも当然のことというよりもちょっぴりむず痒くて、頬っぺたがふるふるしてしまうような気持ちになるのだ。


そんな私だからかもしれない、この関白宣言にどハマりしてしまったのは。
でもこれこそ、挨拶のように愛してると言える外国とは違った日本人の数少ない本気の曝け出した告白だと思うし、誠実さだと思うし、奥ゆかしさだと思うし、「いつまでも君だけを愛している」という覚悟の歌だと感じる。
愛しているよ、と言われるのはニヤニヤしてしまうけど、緊張しながら関白宣言を捧げられるのは泣ける気がする。


夏目漱石は、I love youを「月が綺麗ですね」と訳すとか言って、文学的だとか言われたりしているけれど、私の推しはさだまさしだ。
彼の方がよっぽど日本人らしい愛の表現者なんじゃないかと思うので、是非日本語訳の話をするなら関白宣言を引き合いに出して欲しい。


願わくは未来の旦那は、関白宣言の良さがわかりつつも、毎日ちゃんと愛も表現してくれる日本と海外のサラブレッドでありますように。

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