号外.「生の空間」で"腹落ちする"体験を
突然だが、あなたは新しい知識や概念、コトに対して「わかった」という感覚をどういう手段で得ることが多いだろうか。
本を代表するテキストで読む、動画を観る、最近だと「耳学」が流行ってきているので聞くという選択肢もある。
わたしは何か新しい知識に触れる時は本やネットのドキュメントからインプットから入ることが多い。多いが、だいたい入ってこない(笑
「目が視線滑ってる」ってやつだ。
何回呼んでも「わかんねーなー、わかんねーなー」とモンモンとしているなかで、同僚やその分野の有識者に話を聞きにいくと一発で「わかる」ことが多い。
ということで、「人との対話・議論」が冒頭の質問に対するわたし自身の回答だ。
不思議なもので、この手段で得た知識はテキストでインプットしたものより忘れづらい。
これには色々理由があると思っていて、もちろん話した相手の知識レベルが自分より整理されているからとか端的に説明がうまいからとかあるだろう。
ただそれ以上に大きいと思うのが「文脈(コンテキスト)」が伴うからだと思っている。
「〇〇な関係性にあるAさんに□□について、あそこで話して教えてもらった」
みたいに、そのときの記憶には知識以外に色々な付加情報がくっつく。これをマルっと「文脈」と表現している。
脳っていうのはいろんな記憶、情報をリンクさせて保存しているらしいので単純に知識単体を詰め込むより「文脈」といっしょに保存しておくことで、覚えされやすくなったり、そこから新しい発想につながったりする。
そうすると、より対象の知識についての理解度は深いものになる。そして「わかった」と腹落ちする。
まぁこうなると「文脈」は必ずしも「人」が必要じゃないのかもしれない。
「懐かしい場所でXXのことを思い出しつつも、□□について学ぶために本を読んだ」
これでもいろんな文脈がついてきそうだ。
でもわたしの経験則から言えば、やっぱり圧倒的な付加情報をつけてくれるのは「人との対話」だ。
前置きが長くなったが、ここ1年くらいわたしが愛用している時間管理メソッド「タスクシュート」の界隈で「順算」「逆算」というワードについてよく発信されている。
どういったものか?という概要はタスクシュート協会理事のjMatsuzakiさんの以下のVoicyを聞いてもらえればつかめると思う。
ただ、この発信だけ聞いてわかったと腹落ちしきれる人は少ないんじゃないだろうか。
そんな人向けに7/6 16:00からオンラインのイベントをやる。僭越ながらわたしもスピーカーの1人として登壇する。
発端は『ユタカジン』というタスクシュート協会公式noteマガジンのイベントではあるものの、『ユタカジン』を知らなかった、読んでなかったという方でも全然参加していただける。
というよりも、申込みページにある「こんな方にオススメ!」に該当する人は『ユタカジン』関係なく是非参加してみてほしい。
このイベントのポイントは「LIVE」であること。一方通行の講義形式のセミナーではなく、双方向性を重視した「生きた時間」になることを意識している。
まさに「対話」の時間になると思っていて、noteを読んだりVoicyを聞くだけでは得られないあなただけの「文脈」が得られるひと時になるんじゃないだろうか。
一橋大学の学長を務めた歴史家の阿部謹也先生は指導教官である上原専禄先生による指導について、こんなエピソードを語っている(※)。
※この話自体を知ったのは山口周『武器になる哲学』より
「わかる」とは「かわる」こと。
あなたもぜひこのLIVEに参加していただいて、一緒に変わってほしい。
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