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立誠小学校「おもいでのよせがき」

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元・立誠小学校では、小学校跡地活用プロジェクトとして、立誠・文化のまちプロジェクト〜立誠・文化のまち運営委員会を組織し、芸術・文化発信の場として活動を続けて参りましたが、ここで現… もっと読む
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#は行

藤村 弘二

この場所には大変お世話になりました。大学時代ここで映画祭を開催させて頂き、そのスタッフとして携われたこと。京都学生演劇祭で、また2劇団合同での公演をさせて頂いたこと。それぞれが僕にとってとても思いで深く、今の僕に直接繋がっている財産です。この場所がまた色んな人の素敵な財産となれることを願っております。ありがとうございました。

ぽちょぽちょ(しがないコーヒー屋店主)

何度かイベントで出店させていただきました。 夕暮れに西日が差し込むあの雰囲気がとても好きでした。 日が落ちてからの校内も子どものころは、よっぽどのことがないと夜の学校に行くことはなかったので、子どものころのちょっとワクワクドキドキした感じを思い起こさせてくれました。 とても残念ですが、皆さんとひとときでもこの場所で過ごせた時間は大切にしていきたいと思います。 ありがとうございました!

firstpress_K.Y.(20代Vintage Rock'n'Roller唯一の生き残りバンドマン『COLD TURKEY』)

元々歴史と伝統の街京都が好きで、尚且つ昭和から残る昔ながらの建築が好きでした。学生を卒業してから、どうにも追憶に耽りがちで、昔流行った学園物のドラマなどを見るだけで胸が熱くなる程で、そんな矢先、京都に嘗て閉校となったこの立誠小学校が観光名所として現存されていると知りました。ドアを潜った瞬間鼻を掠める香り、黒板、靴箱、斜陽……。蘇る、あの時間あの空気。先日リッセイプロムパーティに伺わせて貰った折どこからともなく流れてきたファウンデーションズのナンバー。あの日あの場所で耳にしたメ

藤澤 賢明(虹色結社)

元・立誠小学校には学生時代からお世話になりました。通り沿いに突如現れるレトロな風貌の校舎。学生演劇祭で劇団を旗揚げさせてもらったり、公演打たせてもらったり、好きな劇団と出逢ったり、映画を観たり、アニメーションの展示会で知り合った方とアニメを作る時間をもらったり、元・立誠小学校から人との出逢い、機会をいただき、世界をたくさん広げてもらいました。寂しさもありますが、また新しく誰かのきっかけになる場所になるように願ってます。ありがとうございました!

濱中 依子(studio2065代表)

京都で生まれ育った私にとって、幼い頃から目にしていた立誠小学校は、独特の空気感を纏って魅力的な建物だと思いつつも安易には近づけないイメージでした。立誠小学校の中に初めて足を踏み入れたのはごく最近のことです。きっかけは1階のTRAVELING COFFEEさん。それから何度もコーヒーを飲みに伺ったり、イベントに参加したり、立誠シネマで映画を観たり。一見入りにくいようで実はとてもオープンで親しみやすく、知れば知るほど奥深い。まるで京都そのものの縮図。これからも地元の人、観光の人、

藤本 和也(α-STATION FM京都)

京都人は子どものころから市内繫華街にでかけることを「まちへ行く」といいます。四条木屋町にある『立誠』は他学校区の私にとって、まさにあこがれの「まち」の学校、そして中高の同級生の母校としてしか 馴染みがありませんでした。その後『元・立誠』となり、みんなが集う文化の学び舎、京都の学び舎となり 自分の母校のようにさえ思うようになりました。ちょっとの間、休校されるのはさびしいですが、『元・元立誠」に復学できるのを楽しみにしております。すこし形は変わっても みんなの心の中にこそ「学び舎

日永 貴子(シネマカレッジ京都 受講生)

立誠小学校は生きている。いつもそう思っていた。廊下の隅に貼ってある卒業写真の子ども達を見ていると、いつも背中に立誠小学校の温かい眼差しを感じた。私は立誠最晩年の約6年間、そこで開催されていた俳優ワークショップに通っていた。尊敬する監督と映画を創り立誠小学校の姿を映像に残す事も出来た。訓練中、何故だか戦争中の立誠小学校の気持ちになり涙した事もあった。講堂は寒い。音楽室は雨漏り。トイレは虫さんと共に。自彊室は畳のカスだらけになるけれど、そんな事はどーでもいい!という程、立誠小学校

別所 弘茂

私が立誠小学校と出会ったのは、今から10年ほど前、まだ大学生の頃でした。歴史ある校舎と、それを守るために奮闘する地元の方々とまちづくり活動を共にする日々。当時、進むべき将来の方向性に悩んでいた私にとって、大きな人生の分岐点になりました。もし立誠小学校に出会っていなければ、今の自分が歩んでいる人生はおそらく存在しなかったでしょう。私にとって立誠小学校は、まさに京都の原点であり、また「母校」のような特別な存在です。この立誠小学校がこれからもずっと、地域の方々をはじめ、訪れるすべて

P.M.Ken(Photographer)

東京在住ですが今も京都を訪れた際に立ち寄ります。関西の姪が成人したときは、晴着姿をこの風情ある校舎の中で記念撮影させてもらました。離れて暮らす姪っ娘との大切な思い出です。

山内 良(Rプランニング、京都カス野郎プロレス)

この仕事に携わるようになってから、いつも木屋町で遊ぶ時に「いつかこの場所でプロレスをやりたいなー」と夢見ていた場所で、いろんなご縁が繋がり2016年に京都カス野郎プロレスを開催できるようになり、その後もプロレスのみならず、シネマバトルや餅つき、盆踊り、桜まつりと参加させて頂き立誠の皆様に受け入れて貰い感謝しきりです。講堂や教室も使わせてもらったので短期間ながら思い出深い地になりました。この歴史ある校舎で心に残るイベントが出来て光栄です!今までありがとうございました。そしてこれ

ボブ・マーサム(THE ROB CARLTON Captain)

初めて元・立誠小学校の音楽室で舞台公演を行ったことを今でも覚えています。旗揚げして3年目、私たちの5回目の本公演である『スカイ・エグゼクティヴ』という限りなくコメディに近い芝居でした。立誠で公演ができることは私たちにとって目標でありましたから、皆、非常に高揚していました。たくさんの方々のお力をお借りしたこの公演は私たちの中で間違いなく何かが変わった公演でした。今でもあの公演で得た感覚を大切にしています。それから3作、2年で4つの作品を音楽室で行いました。私個人としてはもっとた

堀部 篤史(誠光社)

立誠シネマの雰囲気好きでした。昔はああいう感じの簡易な設備の中での上映会よく足を運んだので、はじめて訪れたときから懐かしい、夢の中みたいな空間でした。『ハッピーアワー』の5時間をあそこで体験できたのは忘れられない思い出です。

長谷川 昭雄(Popeye fashion director)

ここへ初めて訪れたとき、僕が通い、愛した東京の下町の古い中学校の校舎を思い出しました。中庭からトラベリングコーヒーへの光の入り方、少しジメッとした校舎の匂い、古くとも威厳のある佇まい。もちろん、僕の学校よりもここの方が大きくて立派なんですが、京都という遠く離れた街で、自分の街にあった、大好きな場所にまた出会えた喜びと感動で、涙が出てしまいました。もう、20年くらい前に、僕の母校は跡形もなくなりました。壊して進化するのが東京なんでしょう。でも立誠小は、京都です。この街に数多くあ

ひろっひろ(立誠シネマファン)

上映作品そのものよりも、立誠シネマという空間にいる事が心地よく本当に癒されました!私の心の中に一生の思い出となり残り続けます。