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インタビュー☆八木裕さんと野寄聖統

代打の神様☆八木裕さんと対談インタビューを受けました。

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バッチリサインいただきました♪

【代打の神様八木裕さん公式サイトから引用】
八木 裕(やぎ ひろし、1965年6月8日 )
岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。愛称は「代打の神様」、「ハチキ」。
高校卒業後、三菱自動車水島を経て、1986年ドラフト3位で阪神に入団する。
1988年は1A・フレズノ・サンズに野球留学した。

主に守備力と走力を評価されてプロ入りした選手だったが、打力で売り出し、1989年6月ごろからレギュラーに定着。
掛布二世とも呼ばれ、1990年に28本塁打(キャリアハイ)、1991年に22本塁打、チームが優勝争いをしていた1992年に21本塁打を記録するなど長距離砲として活躍した。
その後は代打としての適性の高さを見せ、1997年には代打率4割、1998年には開幕からしばらく代打率5割以上をマークするなど、ここ一番の場面で登場する代打の切り札となった。
その後も絶好の場面で好打を放つことから吉田監督から「代打の神様」と命名され、「代打・八木」のコールで球場を大いに沸かせる選手となる。

2009年から、二軍打撃コーチとして阪神へ復帰。
2012年のみ二軍の育成チーフコーチを兼務したが、2015年限りで退任した。
2016年からは、毎日放送で野球解説者、サンケイスポーツで野球評論家としての活動を再開している。

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ついつい質問しちゃいました(笑)

自分の祖父も、熱心な阪神タイガースファン!

「代打~八木~」

「おおおおおおおお~~~~~」

そんな熱い熱い熱いタイガースファンに見守られる中、代打の場面って、ピンチでもありチャンスでもあります。

とんでもないプレッシャーだったんじゃないかなと思います。

そして、後輩の新庄剛志選手も目立つようになり、場を譲っていくのは、どんな心境だったんだろう。

引退試合は八木選手の息子さんが始球式を務めました。
この試合では8回裏に代打で登場し、ライト前ヒットを放った。阪神がリードのまま、9回表には一塁の守備に就いた。
巨人の攻撃は三者凡退で3つのアウト全てが内野ゴロだったため、全てのボールが八木選手のミットに収まり、ウイニングボールをゲームセットの瞬間に直接手にした。八木選手にとってまさに有終の美を飾る試合となり、試合後の引退セレモニーでは「憧れの、甲子園の打席に立つことは…もうありません」と感極まった。通算代打成績は400打数、94安打、13本塁打、98打点、打率.235。なお、代打での通算98打点は球団歴代2位の記録です。


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立派なサインもいただきました。 

野寄自身、それほど野球は詳しくありませんが、やはり一流のプレイヤーは、ジャンルを超えて、一流の基準で物事を捉えています。

野球選手は引退されても、常にプロしての基準でお仕事をされています。

その姿勢が、一番の学びでした。

自分も生涯現役で、日々成長基準を上げ続けます。

ありがとうございます!


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