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褒めてもらえるはずだったのに

 気合を入れてがんばったら、そこは誰にも褒められなかった、そんな日もある。こうなるはずじゃなかったのに、悔しい、悲しい、寂しい。自分なりにここがこだわりどころ、がんばりどころだと思ってやったことを、そういう視点で見てもらえるとは限らない。

 なぜ落ち込んでしまうのだろうか。怒られたわけではないし、ダメだしされたり、却下されたわけじゃないのに。

 褒められたいとは、認めてもらいたいということだけど、私はがんばったってことに共感してもらえるということでもある気がする。私と同じ気持ちを感じてもらえなかった、それを伝えてもらえなかったことが悲しいのだ。

 自分の想像では褒めてもらえるはずだったことが、褒められなかったことは、結構ネチネチ後を引く。寝るまで、いや数日、思い出しては凹む。でも数日経ったら、いつの間にか忘れていることでもあるのだ。

 じゃあ褒められたときは?これもあまり大差はない。もちろん一生ものの褒め言葉もあるけれど、小さなことだったら数分後には褒められた嬉しさは消えてしまうこともある。後々、思い出すこともあるけど、一生思い出さないことだってあるわけだ。

 褒めてもらえなくて、悲しくなってしまったとき、その気持ちの持って行き所は難しい。しょうがないじゃんとか、次がんばろうだと、自分ががんばったつもりだったことを否定することになるし、割り切ろうと思って割り切れるものではない。それができる人もいるのかもしれないけど、私は得意じゃない方だ。

 私は自分なりにがんばったのだ。自分で自分を褒めていい。ご褒美にキノコの里をあげていいし、思いっきり甘やかしてあげていいのだ。立ち直るまで、一緒に散歩をしたり、ぐずぐずしたりするのに、寄り添ってあげていいのだ。はて、私はどんなご褒美をお望みかな?

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