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刺激に疲れてしまうとき

 この世界には人によってつくられた刺激がたくさんあって、ときにそれに飲み込まれ、疲れてしまう。

 自分の気質を知る前は、それが当たり前の生活だったような気がする。疲れて、ダウンする。大きな波と小さな波の繰り返し。それが日常。

 生活が変わる前は、疲れてしまう刺激から受けたダメージを何とかできる他の刺激がそれなりにあったように思う。小さな波だったら、他の波で打ち消せることもできた。

 刺激を受けると人より影響が大きくて、疲れる性分だということもわかってきた。どんな刺激に疲れて、どうすればそれを防げるのかってことも、自分なりに模索して、それがうまくいくこともある。

 刺激は、減っているんだと思う。それは自分にとってネガティブな刺激だけではなく、ポジティブな刺激も。

 最近の疲れは、そんな自分や周りの変化によって、変わってきた疲れ、みたいなところもある気がする。前よりも刺激にフォーカスすることが増えて、それによる自分の反応がよくわかるようになってきたことの負の影響。

 疲れたなって思うとき、いつも、もう刺激から逃げたいって思う。でも、疲れた原因になっている刺激はもうそこにはない。そこにあるのは、自分の反応だ。だから本当は他者に疲れた自分に疲れているということになる。

 他者という刺激からは距離を置けるけど、自分の反応と距離を置くことは難しい。一体になってしまうし、心の声はミュートできないから。

 自分の気質を知ったからこそ、他の人もこんなに悩まされてるんだろうかと、答えが得られない比較をしてしまったりする。

 自分自身を時々休める、有給制度があったらな。それってつまりは思う存分寝ること、か。

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