さまざまな価値観や愛との向き合い方
先日乗った飛行機で、この映画の前半部分を見た。
国内線の短い搭乗時間で見終われないことはわかっていたのに、見たいという気持ちが特に強かったわけでもないのに気がついたら、見始めていた。
前半部分は彼女が少女からディーバになるまでのいわゆる栄光期。飛行機はそこで着陸した。彼女のその後の生涯を知っているだけに、続きはあまり見たくないという気持ちの方が強かった。Amazon Primeでは有料だったし…。
前半部分を見てから約1週間経って、後半部分を見た。しかも、新月のせいか体調がすぐれない真っ最中に。でも、気がついたら見ることにしていた。
前半部分でも彼女は両親を始めとする周りの人の支配により、悩みを抱えていた。後半部分では、さらに夫との出会いを始めとする周りの関係とのこじれや、成功し続けなければならない、周りの期待に答えなければならないというプレッシャーで心身のバランスを崩していく。
映画は、彼女がステージで再び喝采を浴び、輝いているシーンで終わる。
彼女が苦しんだ要素はほんとに様々で、映画では見えていたものはほんの一部分ではあると思う。でも、高圧的な男性とどう女性は向き合ったらいいのか、高みを目指すことの際限のなさ、みたいなところはレベルは違えど、人生の中の普遍的なテーマとして、感情移入して苦しい気持ちになった。
彼女がもっと自分のことを優先して、大切にできる生き方をしていたら、結末は変わっていたのだろうと思う。でも、それはもっと後に生まれた世代だから言えることなのだろうとも思う。彼女は、あの時代を、あの時代に使えるものに頼り、精一杯生きた。悲しいけれど、そういうまとめになってしまうのかもしれない。
彼女の歌は素晴らしい、今聞いても。彼女は素晴らしい女性だった。私が、ある種自分の意思ではなく、気がついたら見ていたのは、やはり何か今学ぶべきものがあったからなのだと思う。
世代が上の人たちの価値観や愛との向き合い方は、間違いではない。その時のスタンダードであったり、生きていくためにはそうせざるを得なかった部分もあるのだと思う。
後の世代に生まれてきたものとして、それらの価値観とどう向き合っていくか、自分の価値観をどう大事にしていくか、それらの葛藤の中でいかに自分を大切に扱うか、それを確認するためにこの映画を見たような気がする。
自分の才能は自分を犠牲にしなくてもきっと発揮できる。それは自分を愛して、大切に扱う中ことで、真の幸せに結びついていくのだと信じたい。
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