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重さから生まれた重太郎。

生まれ、育って、はや云十年…
こんな鬱陶しい人間に育つと誰が予想したであろう、わたくし。

今日は綾野さんの誕生日。
和山やま先生風・映画版「カラオケ行こ!」狂児を描いてみた。

微妙。

この前、映画を観にいったんですけど、パンフレットが売切れだったので、すでに本家によって描かれていたらすみません…偽物事故物件。
追加で販売されるそうなので(わーい😃)、そしたら買います。

綾野さんの誕生日だから綾野さんについてまた書いておいていいですか。

自虐…自虐になるのか。なってしまうのか。
わたしは、どうにもポンコツで。
どうにかこうにかここまで生きてきたのですが、やはり、生きるということが全体的にふんわりしんどいです。

が、そういう時にいつも、俳優業というものを思い出すのです。
俳優業…それは、知らない人たちの中に飛び込む職業。
(長くやっていれば知り合いも多少できるとは思いつつ)。
そして他人を生きる程に他人(役)に思いを傾ける職業。
顔だけでなれるわけでもなく、売り込みさえすれば知名度がついてくるわけでもなく、世間一般人気と玄人人気が別れ、ともすれば自動的に芸能人とされ、プライベートにも関心を向けられ、私のような映画素人に感想を書かれたりして、体育会系文化系っぽい構造もあり、多額のお金と利害が絡み、なんかもう傍で見てるだけでもしんどそうな職業。
良くも悪くも映像や作品が残り続ける職業。

この前、自分の後ろ姿が写った写真をみて、胃がぎゅっとなった私です。
(自分自身を写真で見ること自体がトラウマ的に苦手…)。
転職し、馴染みのない業種・組織・ルール・人に対して胃がぎゅぎゅっとなっている毎日です。
ビビりです。逃げたいです。帰りたい。休みたい。寝てたい。逃げたい。生きるってたいへん。みんなすごい。すごいが普通の社会しんどい。逃げたい。帰りたい。寝てたい。以下エンドレス。

でも、俳優さんは、俳優を全うしている。
綾野さんは、綾野さんを全うしている。
山田さんも、山田さんを全うしている。
ムロさんもムロさんを全うしていて、佐藤二朗さんも佐藤二朗さんを全うしている。

と考えた時、乗り越えてきたものの量が、私とは比べものにならない、と思うのです。
そういう存在がいてくれることは、生きることがしんどい私にとって、うーん、なんというのだろう。
下にみているわけではないし、偶像化しているわけでもなく…ありがたい。
そうなれるか、といったら、なれない。
だし、他人がその人になる必要がないと思う。
その人がその人で在ってくれるから。

私から見たら、俳優の方はロックスターに近いのかもしれない。
ロックをやっている人に、清廉潔白さは求めないでしょう。
でも、俳優業=芸能人・タレント、のような扱いの中で、プライバシーに踏み込まれたり、ネタ化されることで、色々な否定や批判にも晒されてしまう。クリーンなイメージがCM起用につながっていたりする。
でも、やはりクリーンさは求めずにいたい。
人間を生きる人たちが、きれいでなくちゃいけないなんてことはないと思う。
なにより、私という人間が、特にきれいでもなんでもない。
むしろ地を這って泥まみれ、だと思う。

でも、変わる。
変化っていうものが、いちいちしんどい。
でも、変わる。
俳優業の方は、それを恐れたら進めないから。

そういう在り方を知ってから、自分も頑張れる…というと、美化しすぎかもしれない。私の根性のなさは変わらないから、いつだって逃げたい。
でも、逃げずに生きてきた人たちの背中を見てきたから、その背中の後ろをついてきたから、なんだかんだでここまで生きた。生きられた。
(自殺=逃げといいたいわけじゃない。けど、私は死ぬことにずっと希望を見てしまっていた)。

実はもうすぐ私自身、誕生日を迎えるのですけれども。
今度の誕生日に、ようやく母に「生んでくれてありがとう」と伝えられる気がします。伝えます。
というのも、今まではずっと、生きることからも逃げたくて、ずっと死にたさがつきまとって、だからいつ死んでもいいように、やりたいように言ったりやったりして、人と関係性もうまく築けず、壊して、甘えて、傷つけて、ということをやってしまっていました。
いじけて、自虐して、泣いて、不安で、意地を張って。
でも、そういうのをもうやめられる、気がします。
少しずつでも。

綾野さんが結婚するまで、私は相当な綾野さん依存症でした。
イタイと嗤われると思う妄想ですが、近くで支えたいと一方的に思っていました。でも、それって綾野さんをナメているのでは、とずっと自問自答もしていました。
自分の外見、中身、そういうのが足りてないのは元より、俳優業というしんどさの本質もろくに知らず、何か分かった気になっている自分が、なんかずっと嫌でした。
目の前の、自分の仕事、自分の職場、生活、人間関係、そういうのもままなってない私が、なにかできるような気になること自体、自立ではなく甘えそのもので、ずっと嫌でした。
で、好きだということと嫌ということが貼り付いていて嫌でした。

なのでそこから、自分という人間を見つめ直して、卑屈も程々にして、やれることをやって、できないことも多々あるけども、いちおう生きているだけで百点ということにして。
そうして、依存じゃなく、私がちゃんと一人の人間になって、会社に貢献できるように働いて、お金をもらって、そのお金で映画を観にいって、映画文化自体の支えになりたいなと思って、今のこの文に至ります。

なんやこの、つまらん人間は。

うん。何を書いてるんだろう。
いや、でも、そんな感じで、気が付いたら今、ここに生きています。
いちいち生きるとか死ぬとか、面倒くさい人間だなぁ、と自分でも思います。
そんなわたくし、転職先が葬儀社さんです(花を扱うチームですが)。
これも何かの縁と思って、やれるだけやってみます。
逃げたいけど。心は常に、何からも逃げたいけど(往生際悪太郎)。

私が思う才能って、逃げられないこと、なんです。
凡人は大体逃げられる、と思うんです。
だってゴッホさんとか、絵を描くっていうことから逃げられたら、もっと長生きしていたかもしれない。でも、その逃げられなさを支えるかのような弟がいた。その時点で才能だと思うんです。
他のスターとかも、だいたい、引き留める人やタイミングがあったり、逃げたいと思っても逃げられず立ち続けたら唯一無二になったり、だと思うんです。

映画監督だってめちゃくちゃしんどそうだなと思います。
アーティストの方もそう。
華やかさもある仕事って、見えない所のしんどさがあるから輝くというか。そういうことだと思うんです。
と思うと、だいたい羨ましくはないんです。
ただ、すごいんです。立っていられること自体が。と思うんです。
しんどければ輝くわけではないですし。

私はずっと生きることから逃げたいのに、結果逃げられてないから、生きる才能が実はあるんだと思います。
でも、一人では花開かなかった才能です。
親に、先祖に感謝しています。
そして、憧れた、星のような、月のような、太陽のような俳優業の方達に、心から感謝しています。

以上をもちまして、お祝いの言葉とかえさせていただきます。
m( _ _ )m


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