見出し画像

生まれることは奇蹟!産まれてくれてありがとう~お世話になった助産院のハナシ

私には、3人の子どもがいます。
子供っていっても、もういい大人ですけれどね。
それでも、母というのは、もう何十年も経ったお産のことを、ず~っと覚えているものですね。

長女も、長男も、予定日より16日も遅く生まれました。

そのお陰で、ご近所の先輩ママ・・・というよりも、姑のお友達?くらいの年齢のお母さまたちが、声をかけてくださって。
そして自分のお産の時はこうだったよ~という話を伺いました。

その時にね、もう30年以上も経っていても、昨日の事のように覚えているほど、出産って、すごい経験なんだなぁ~って思ったのでした。
それとともに。
どの人にも「お母さん」がいて。

もしかしたら、産んだだけのお母さんもいるかもしれないけど。
そして、色々事情があったら、忘れたいと思うママもいるかもしれないけど。
でも、きっと忘れない、貴重な経験なんだろうな~って、思ったのでした。
そして、どの人にも、ずっと誕生を記憶しててくれる「お母さん」がいる、という事って、ありがたい事だな~と思ったのでした。

3人生まれても、3人3様、ひとりひとり違う経験、なのがお産なんだと思います。

初めての子の長女は、近所の総合病院で産んだのですが、2人目3人目の息子たちは、当時わりあい近所にあった「助産院」で産みました。
なので、上の二人とも16日も予定日より遅れたお産だったし、お産そのものは、きっと似たような進み方だったと思うよ、と助産師さんに言われたけど。
全然違うモノでした。

総合病院は「産まされた」って感じで、完全に受身だったし。
健診も、2時間待って診察5分!って感じで、不安ばかりでした。

助産院は、30分は診察時間を使ってくださって、「胎教」の本などを読んでくれたり、今おなかのあかちゃんは、どんな状態だよとか。
深呼吸して、外の光をあかちゃんに集めるイメージをしてね、とか。

産むときも、「赤ちゃん主体」で、ゆっくり待ってくれました。

って、本当は3人目のお産の事を書こうと思っていたんだけど。
ちょっと、「助産院」の事も紹介します。

今はもう無くなってしまった「片桐助産院」っていう、海老名市にあった助産院でした。
常設のプールがあって。
水中出産なども普通にやっていました。

当時は、よくテレビでも紹介されている、人気の助産院だったのです。

でもね、あまり人気が出すぎてしまって、かなりな遠方からも来られるようになって。
そして、助産院だから、医療行為はできない訳で。

だけど、近所の産科からは、結構敬遠されていたようで、ちょっと離れた病院が、やっと何かの時に受け入れてくれる事になったと言ってました。
なので、1回は、その病院に健診にいって、カルテ作っておいてね、と。

それに、皆、自然なお産~と言って来るけれど、だんだんリスクのある妊婦さんが増えてきたみたいな話もされていました。

いつか、先生が「みんなここに来たい~って言うけれど、イザ、お産で何かあった時は、あなたたちも、私を訴えるでしょ?」と言われた事があって。
きっと、本当はいろいろあって大変なのだろうなぁ~と思った事がありました。

私も、ちゃんと自然分娩で3人産むことができたけれど、けっして安産ではなくて。
でもまぁ無事に生れたら、安産なのかな?って思ってはおりました~。

上の二人は、羊水が濁っていたそうで、総合病院だった娘は点滴されてたし、長男もそう言われたけど、卵膜が破れて、後で出てきたりしました。
赤ちゃんは元気でしたから、問題なかったですけどね。
でも、お産の進み方や、痛みの違い、なども、色々教わって、とても安心して産むことができたのは、大きな違いでした。


そして助産院のお食事は、母乳の出をよくする、身体に良い食事中心で、玄米菜食でした。

今でこそ、我が家もほぼノーミート(肉無し)野菜食中心になっていますが、当時は、野菜だけで、こんなに美味しいおかずが作れるんだ!?と、衝撃でした。

(1人目の総合病院の食事は、産科だけは豪華で、おやつもありましたが。豪華さと、身体に良さは、ちょっと違う~のですよね。)

片桐先生は、ご自分が5人くらい出産されていて、下の何人かのお子さんは、自宅のお風呂で産んだのだそうです。
本当に、色々お世話になった助産師先生でした。

健診に行くのが楽しくて、産後の入院中も、退院してからの母乳マッサージも、行くのが楽しくて、ここに行きたくて4人目が欲しいようでした。
残念ながら、3人しか来てくれなかったけど。

もっと自分が若かったら、助産師になれたら良かったな~と、思ったほどでしたもん。

でも、残念なことに、若くして病に倒れ、あっという間にお亡くなりになって、片桐助産院も閉じられたそうです。

今は、子育て支援の拠点になっているようで、ちょっとホっとしました。

助産院の方針と、産科医師の方針とは、捉え方が真逆だったので、かなり叩かれたりとかもしていました。
でも、それをちゃんと理解して、できるだけ自然の力で、という人がほとんど通っていたのだけれどね。

ただ、TVなどのマスコミの力って、良くも悪くも、こわいな、とは思ったのでした。

人気になりすぎなければ、きっと、もっとのんびりと、いまでも助産院が続いていたかもしれないな~とも思ったり。
人のいのちの事はわかりませんけど。

でも、当時の片桐先生から、とっても大切なコトを学んだママは、た~くさんいると思っています。
そして、色々なところで、後に知り合った方が。

え~あなたも片桐さんで産んだの?って方と、嬉しい出逢いがあったりもしています。

長くなってしまったので、3人目の、ありがたい奇蹟だったお産は、また次回に。
読んでくださって、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?