私とさくらももこさんの違い。

私が「エッセイを書いてみたい」と思ったきっかけは、中学生の時に習った清少納言の『枕草子』や吉田兼好の『徒然草』である。
もちろん、この全てを読んだわけでもなく現代語訳でしか知らない超にわかではあるのだが、この2つの作品の視点の鋭さと軽快な毒の合わせ技に心を打たれ。
いつか私もこのような読んだ人が唸るようなツッコミや毒を吐いてみたいと妄想を膨らませていた。


そんな中で今年の大河ドラマ『光る君へ』の関連で清少納言が取り上げられた番組を見た。
それを見ていて、エッセイって要は日記じゃないかという考えが過ぎった。
私は学生の頃に課題として嫌々毎日書かされていた日記があるのだが、大して何も起きてないのに書かなければならない事が嫌すぎて「もうどうにでもなれ」の気分で好き勝手なことを書いていたら意外と面白がられた経験がある。
そんな遠い学生時代の思い出からもしかしたらエッセイというジャンルは向いているかもしれないという希望が生まれ、ひとまずnoteを始めた。


現実はそんなに甘くなかった。
そもそも、私が学生の頃に書いていた日記はごく些細なものでたった4~5行ほどの罫線に収まる程度の内輪ネタである。
noteのように自分を知らない人に向けて、書きたければいつまでも書き続けられるような無制限の白紙に向き合ったことなど人生で一度もなかった。
面白い日記が書けたから面白いエッセイも書けるはずだという根拠のない自信はあっという間に失われた。
何かを上げた途端に各媒体に取り上げられ「稀代のエッセイストついに現る!」と騒ぎを起こすかもしれないという、妄想で伸びまくった鼻っ柱はあっという間に根元からポッキリ折られてしまったのである。


それでも、文章を書くこと自体はそれほど嫌いなわけではない。
エッセイと日記の違いを少しはっきりさせればコツというものも見えてくるのでは無いかと、新たな作戦を考えた。
そうとなれば、面白いエッセイを読むのが最も手っ取り早いと思いたった私は行きつけの書店へと足を伸ばした。
エッセイを書いている作家さんはたくさんいる。
エッセイ自体を生業にしている作家さんもいれば、普段は小説などをメインとして活躍している方もエッセイを出している。
意外とエッセイのコーナーを埋めつくしているのは、これが最初で最後の書籍になった人も少なくないであろう芸能の世界に身を置く人のエッセイ本である。
それを見ていると、どうしても自分にも書けるのではないかというタチの悪い自信がジワジワとまた私の鼻を伸ばそうとしてきた。


そんな中で、手を伸ばしたのは私が生まれてこの方日曜18時でお馴染みのさくらももこさんだった。
さくらももこさんのエッセイ、その中でも『もものかんづめ』は読んだことは無いけどタイトルと面白い本だということは知っていたのだが、やはり『ちびまる子ちゃん』の漫画を書いていた人というイメージが強く文字が多く書いてある本には今年になるまで手を出さずにいた。
鉄は熱いうちに打ての言葉通り、『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』の三部作を手に取りレジカウンターへと向かった。


読み出すと圧倒的な自分との差に笑いながら心で恐れ慄いた。
あっという間に『もものかんづめ』と『さるのこしかけ』を読み終わり、現在『たいのおかしら』の途中までで一旦休憩を入れている。
元々ちびまる子ちゃんの漫画は全巻購入するほどに彼女の作品は好きだったのだが、あれはご本人の経験ベースのフィクションである。
エッセイはご本人の経験により近く書かれているのでより毒は毒として強く切れ味が鋭く。
口角が上がり続けたことで、私の頬はまるで電気でも流されているかのように痺れていた。


とりあえず2作品半ほど読んで、分かったことがある。
言い回しや構成などの圧倒的な技術力不足は言わずもがな、私には恥や失敗も晒せる覚悟が足りないということだ。
『もものかんづめ』の1話目から水虫治療の話である。
幸いにも私は水虫になったことは無いが、なったとしてもなかなか書けるものではない。
水虫という病気自体のイメージがあまりにも悪すぎて、既に完治していても「あの人水虫にかかったことあるんだ…」と思われることにきっと私は耐えられない。
性別や年齢がどうであろうと水虫を話題にすることは多くの人がはばかられることだろう。
そんな話を彼女はここまで面白おかしく書き飛ばせるのである。
平成の清少納言と呼ばれた彼女の凄さを1冊目の1話から知ることになった。


恥や失敗のエピソードを書くことは出来ても、それで人を笑わせるというのはとてつもない技術力がいる。
1歩間違えてしまえば全く笑えないし、ただただ知らない人のしょうもない話を聞かされただけの無駄な時間を生んでしまう。
そうならないためには、ばからしいものをばからしいと見せる力が必要なのだ。
それでいて、あまり周りを気にしないのも1つ必要なことのように思う。
『もものかんづめ』に収録されている「メルヘン翁」は掲載当初批判的な声もあったようだが、そういった声を恐れない心の強さも必要なのかもしれないと思った。
ちなみに私はこの中でも、冗談抜きで1行に1回くらい笑ったのではないかと思うくらい笑った。
作中の表現を借りるなら死に損ないのゴキブリになるまで笑った。


最も、エッセイは他人を笑わせるだけのジャンルでは無く。
あくまで自分の経験に基づいて思い浮かんだことを書けばいいわけで、別にここまで「さぁ、笑わせてやるぞ!」と意気込む必要は全くないのだが。
それでもエピソード選びや語彙と表現力でありふれた日常が笑いを生むのなら、もっと多くのエッセイから学びより良い言葉で面白くない日々を少しでも面白く書いてみたいと思う私であった。

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