エレキの若大将

何も考えなくて見られる。時代資料としてもおもしろい。

 主人公は大学のアメラグ部の選手。この時代、アメフトとは言わなかったと知った。でもアメリカンフットボールとも書いてあった。まだ呼称が揺れていたのだろう。大学生が詰襟の学生服を着てた頃、アメラグもエレキギターも、ハイカラなものだったのだろう。
 家は田能久という牛鍋屋。落語との関係は分からない。そこのおぼっちゃんで、通う大学は京南大学。ライバルは(都の)西北大学。ということは京南は、大学旗の色からいっても慶応だ。三田は都の南だからつじつまが合う。隣の蕎麦屋の出前持ちとの、親分子分のような関係から、当時の大学生、あるいは慶大生の社会的地位が想像できる。つくりものだから全部を真に受けるわけにはいかないが、そんな空気はあったのだろう。

 加山雄三の主人公が、とにかく笑っちゃうほど万能。アメラグの優秀な選手で、チームの人望もあり、エレキギターも、歌もうまい。もちろん見た目もよくて、女性にもてる。田中邦衛の青大将が引き立て役になって、人間的にもすばらしさが際立つ。

 テレビの音楽番組で勝ち残り、アメラグのかたわら、音楽活動も順調にいく。牛鍋店が破産し、大学をやめて歌で生きて行こうと決意すると、レコードを出すことになって、その契約金で店がつぶれるのを防ぐ。金持ちの娘から結婚を申し込まれたのを、誤解した彼女が日光に旅立ち、それを追って若大将はアメラグ大会の決勝戦に遅れる。金持ちがヘリコプターを出して、若大将を試合場に送り、そこから京南大が逆転する。

 深刻な日本映画より、1カットの時間が短い。そんな違いで、考える映画と見る映画の違いが生まれる。

 ストーリーに複雑なところはなく、恋愛あり、音楽あり、格闘ありで、だれもが楽しく見られる。当時の映画の見方も、今とは違ったはずだ。開映時間を気にせず館に入って、見た場面になったら出る、なんてことをしていた時代だ。せんべいを食べたり、隣の人とおしゃべりしたり、スクリーンに声を掛けたり、なんてことが許されていた。映画通からは高く評価されないのだろうが、こんな気楽な映画の需要があることは間違いない。

 今は許されないが、おばちゃんのおしゃべりとか、主人公の危機におっさんが声援を送るとか、そんなことを含めて、映画だ。静かに作品を鑑賞するのも、一つの鑑賞法ではあるが、人が集まって見る、というところから生まれる感動体験もある。それが舞台芸術の歴史を作ってきた。

  この作品でも、ラストのアメラグの試合の場面で、おっさんが「行けえ」と応援する、そんな光景が目に浮かぶ。そんな空気の映画館にいると、祝勝会のシーンで、加山雄三の演奏に合わせて体を揺らしたり、口ずさんだりしたくなる。芝居じゃないから、掛け声をかけたって出演者に伝わらない。そんなことは百も承知で、それでも声をあげたくなる。そんなのが、人に生きる力を与えてくれる映画だ。見ている人が、そこにはいないスクリーンに映し出されているだけの人に感情移入し、声まであげてしまう。お上品に作品を鑑賞するのとは違う映画体験が、この時代にはあった。

 作中曲「君といつまでも」は、スナックのカラオケで聞かされる歌という印象だったが、加山雄三が歌うといい曲だ。セリフ部分が、そのまま映画の場面だったというのも初めて知った。最後の「いつまでも~」というところのメロディが、よく聞いてたのと違った。

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