バビロン

時は移る、人は過去の自分に固執する


 ハリウッド。一旗揚げようとやってきた女が、演技力が認められて女優になり、そしてスターになる。撮影所では監督が威張り散らし、大御所俳優は飲んだくれている。エキストラが怪我したり死ぬくらいなんでもない。槍が飛んでくると、危ないではなく、槍が新しいと文句を言う。いい映像を撮ることが最優先され、ほかのことはすべて犠牲にしてもいい。そこにいるみんながその価値基準で生きている。

 そして無声映画からトーキーへ。映画の作りが変わり、かつてスターを押しのけ新たなスターの座を勝ち取っていった者たちが、落ちぶれていく。

 いつどこでも起きている世代交代だ。ネット、AIと、新しい技術が次々生まれてくる今は、この映画の世界よりもっと、世の中の動きについていけないと思っている人が多いだろう。自分もその一人だ。

デジタルネイティブにはかなわないと話していたら、上司が「君がそうなら、私など使い物にならないか」と聞いてきた。嘘をつくのもお世辞があからさまなので、しかたなく「はい」と答えた。その後、役職を外された。

 しかしおかげで、なぜ高齢者が使い物にならないか、考えることができた。別に年をとっているからダメというわけではない。勉強しないからダメなのだ。世の中が変わるのだから、そこで生きていくためには、新しい環境を学ばなければならない。でも、年をとって体力がなくなると、勉強する体力、そして気力も衰える。

そしてもっとやっかいなのが経験だ。ベテランになると、それまでの蓄積でそこそこ仕事がこなせるし、若い者が先輩と言っておだててくれたりする。それを真に受けて、自分が有能だと思ったりするから、学ぶ力がなくなっているだけでなく、学ぼうとする努力もしなくなる。若い時は、自分が未熟だと自覚しているから素直に学べるけど、ある程度実績を積むと、学ぶのに自分の壁を乗り越えなければならなくなる。

そもそも学ぶとは、自分にないものを取り入れることだ。若いうちは、自分にないものばかりだから、新しいものを取り入れやすい。それが年を取り、いろんなものが身についてしまうと、現在持つものと新たなものとで軋轢が生じる。何かを取り入れようとするたびに葛藤が生じる。当然、学びにくくなる。

 この映画のラストで、映画の世界を離れていた主人公が映画館に入り、音付き色付きの映画を見て泣く。ほかの観客たちは笑顔でスクリーンを見つめている。ハリウッドにもいろんな人がいた。のし上がったスター女優は、人知れず野垂れ死に、ベタ記事で報じられただけだった。スターから落ちぶれる生き方も、地味に裏方を務める生き方もある。学んでも学ばなくても一生だ。

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