仁義なき戦い 頂上決戦

適当にやる奴が生き残る

 戦闘映画だけど、眠くならなかった。いろんな組があって、たくさん人がいて、誰が誰やら、もう訳が分からないんだけど、それでも最後まで緊張を維持したまま見れた。

一つには緊迫感を高める音楽。一つには役者の鬼気迫る芝居。そして大きな一つに戦闘シーンのカメラワークがある。何人もが入り乱れて殴り合う様が、スピーディに追われる。ケンカは夜に行われることが多く、画面は暗いし、たくさんの人がいるから、何が何やら分からない。何をしているのか分からなくても、おもしろかった。

 なんにしても、登場人物が多い。それでもなんとか、ついていけるのは、役者の顔に個性があるからだ。この時代、ただ男前というだけでなく、見分けの付きやすい顔が選ばれていたということか。

性格もいろいろだ。極道の筋を通して恩を大事にする奴、組の生き残り策を探るため状況を見守る奴、とにかく自分の保身だけを考える奴……。いろんな人がいるから、見る側も自分の周囲を思い浮かべながら見ることができる。

 基本的にみんな自分のことばかりで、組の若い者のことを考えるのはまだいい方だ。親分たちは子分を駒としか考えてないように見える。この辺もサラリーマンの上司と変わりない。

自分のことしか考えない奴の筆頭が加藤武の打本だ。恥も外聞もなく子分の前で命乞いするし、そのくせ子分に対しては態度が大きい。命を懸けて何事かをしようとする志もなく、強い奴には弱く目下には強く出る、やくざの中でもどうしようもない奴として描かれている。

そんな打本が、暴力団みんなが逮捕され、実刑を食らう中、執行猶予で済まされた。主人公の菅原文太は7年余の実刑で、間尺に合わないケンカをした、時代が変わった、とつぶやく。

 誰でも、渦中にあっては、正しいことをしていると思う。この作品を通して、打本はずっとろくでなしに描かれている。意気地のない組長で、誰からも信用されていない。抗争の中ただただ命を長らえることだけに腐心していた。当然ほかの暴力団員もみな死なないようにと頑張ってて、目くそ鼻くそといったところではあるが、組長という立場にありながら臆面もなく保身に動けるところが大したものだ。

現実の暴力団の世界は知らないが、一般の社会でもそういうことかもしれない。恥も外聞もなく、本来の仕事より上役にこびへつらうことばかりに熱心で、周りの者たちからバカにされてるような奴が、するすると出世していく、なんてことは珍しくない。

人として恥ずかしくないのか、と罵声を浴びせたくなるような奴がいることは間違いない。そう思う人が少なくないから、この作品は名作になるのだ。暴力団の世界を描きながら、誰もに共感できる世界が描かれている。

 どこの世界にも、うまく立ち回る奴がいて、筋を通して損する奴がいる。筋を通そうとする者は、それが人に理解されると思っている。が、世の中はそんなに甘くない。というか、他人のためにそこまで力を割いてはくれる人はそうそういない。うまく立ち回る奴がそこまで考えているのか、それともただ何も考えずに強い者に媚びられる性分なのか。そこは分からないが、世間的評価で勝つのは、うまく立ち回る奴ということになる。筋を通すというとかっこいいが、我を抑えられないだけのバカという見方もできる。そんな人間の生き方を、暴力団という遠い世界から考えさせてくれる。

 鉄砲玉に使われたチンピラの家が、広島基町(原爆スラム)と字幕が出た。映画の抗争は戦後20年近くがたった時代だが、まだ原爆の後遺症がこんな形で現れることに衝撃を受けた。暴力団の抗争に原爆が一枚かんでるなどと、アメリカ兵の誰が夢想だにするだろうか。町のやくざの暴力も、国の戦争の暴力も、末端の小さな家庭を不幸にすることを教えられた。

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