ひまわり

 これも古典中の古典で、中学生の頃に見て、陰鬱な記憶しかなかったが、今あらためて見て、やはり悲しみしかない。恋愛ものという評判も聞くが、むろん恋愛ではあるのだが、今のロシア・ウクライナの紛争下で見ると、反戦ものと見える。

 イタリア女は、結婚した男が戦争から戻って来ず、ソ連まで探しに行く。そしたら、夫はロシア女と結婚し、可愛い子どもまでいた。女は戦時中からずっと男のことを思い続けていたのに、男はほかの女と一緒にいたと知って、とても平常ではいられない。

男も、戦争で記憶を失っていたのに、女が姿を見せたことで記憶がよみがえり、ミラノに戻る。ソ連から資本主義国に行く困難を乗り越えての旅行だが、行ってみると女は結婚していて、やはり子どもがいて思いを遂げられない。女が駅で、列車の男を見送るところで、終演。

 女が美人でないので感情移入しづらいが、それにもかかわらず、戦争はきついと思わせられる。シベリア抑留は、こんな感じだったのか。話には聞くが、映像で見せられると、すごくきつい。戦争で死ぬのは、爆撃とか銃撃とかが思い浮かぶけど、こんなふうに雪で死ぬことも、考えてみれば当然あるはずだ。誰かに殺されたわけではないが、戦死には違いない。

 戦争で恋人を失った、という話はおそらく珍しくないが、この映画の女のように、偏執的といえるほど追い求めた人は珍しいだろう。そして、探し求めた結果が、最悪の不幸だ。つきつめたい気持ちは、いやというほど分かるが、事実が判明して幸せになるとは限らない。

 この映画の女の不幸は、戦争による不幸の上に、さらに共産党、ソ連という国による不幸が重なった。もしソ連でなければ、もっと早く男が帰国して、さらなる不幸が起きなかったと想像できなくもない。むろん作中では、ロシア妻は美しく、ミラノ妻はぶさいくだが、それでも男はミラノまで会いに行く。美醜を超えての愛、美の基準は個人的だから分からないけど、なんにしてもそれほどの愛だったのに、戦争と政党がそれを分断してしまった。

さらに不幸なのは、ロシア女が、ミラノ女の到来で動揺した男に対し、自分を愛していないの? と問うたことだ。ミラノ女が来なければ、そんな波風も立たずにすんだはずだ。何重にも不幸が重なっている。

 何重もの不幸の一番初めが戦争だ。なんで戦争をするのだろう。人類がずっと考えてきたことだと思うけど、未だになんでか分からない。誰もが納得する答えは出ていない。今のロシアもイスラエルも、なんで戦争しているのか、やめないのか、ニュース解説程度のことは頭で理解できるけど、ウクライナでもガザでもこんな感じの女が不幸になっているのだろうと思うと、そこまでして戦争する理由が分からない。

この女は自分の欲に従順で、決して人に好かれるタイプの女ではないが、そんな女さえ不幸にしてしまうのが戦争だ。もっとまともな女や男、いうなればほぼ全ての男女を不幸にしてしまうのが戦争だ、とこの映画は教えてくれる。ニュースを見ていると、プーチンとかトップの政治家の顔しか見えないが、現実に苦しんでいるのは、このミラノ女のような人たちだ。こんな女に、世界情勢だの民族史だの分かるわけもないし、分かろうともしないだろうが、そんな末端の庶民が苦しまずに生きられるようにするのが、政治家の仕事のはずだ。



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