タワーリング・インフェルノ

 超高層ビルの竣工式で、火災が起きる。経費削減のため仕様通りの施工がされておらず、電気系統から発火し、防災設備も起動しない。完成披露パーティが最上階で開かれている中で、火はどんどん上の階に燃え広がっていき、非常階段も火に包まれる。ヘリコプターや隣のビルへのロープなどで避難するが、全員が逃げるには間に合わず、屋上の貯水タンクを爆破して火を消す。

 映画ではたいてい敵と戦う。感じの悪い悪役がいて、勧善懲悪が分かりやすく描かれる。現実世界でも、ウクライナに侵攻したロシアとか、人間でなくてもウイルスとか、戦う相手はたいがいはっきりしている。悪い奴を排除すれば一件落着となるが、相手にとってはこっちが敵であり、おそらくお互いに言い分はある。喧嘩両成敗とするしかない。

この作品では、手抜き工事をした業者が敵ではあるが、緊急に命を救うために戦う相手は火だ。人間が敵になり、人と人が憎み合い、誰かを殺して終わる結末より、観後感は悪くない。

 いよいよ火がパーティ会場のフロアに迫った時、先に子どもと女性を逃がそうとする。未来ある子どもは当然として、女性が先という発想が、性差別のあった時代を感じさせる。

 人は危機が面前に迫って、やっと何が大切かを考える。女性を先に逃すことで、夫婦は分かれ分かれになる。一緒に残ると言う女もいる。老い先短い人が、連れ合いを亡くしたことを悔いながら生きるのと、生死を共にするのと、どっちがいいか。結論は出ない。

戦災でも震災でも、亡くなった人を惜しむ姿がよく報道される。出征して生還した人は、戦後ずっと後ろめたい思いを抱えてきたそうだが、生きていてつらいばかりでもないのだろう。生きることは苦に違いないが、時に楽しいこともある。

 この作品で、火災が取り返しのつかないほど大きくなった原因は、社長のエゴだと描かれている。そもそもの発端が、自分の懐を肥やすための経費削減であり、危険を指摘されたのにパーティを中止せず、発火してからも来場者を即座に避難させなかった。施工業者は、我先に逃げようとして落下死したが、社長はこの先どうなるのか。

フレッド・アステアの老詐欺師は、女に偽の株券を売ろうとするが、だましきれず、愛の告白をすることになる。パーティで女と踊る姿が軽やかで、晴れがましくさえ見える。苦しい生を少しでも生きやすくするには、やましいことをしないよう努めることに尽きる。

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