短編:入り口
例えば駅のホームの壁にある、薄汚れたドアだとか、フェンスが敷かれ、訳もわからずずっと封鎖されている小道だとか、そういうところ。
どこに続くのか分からない、けれど何処かには必ず繋がっていて、その先に自分のまだ知らない空間が広がっている事が確約されている「入り口」。
そういうものは、ふとした時に強烈に人の興味を惹きつける。
そしてこういった入り口を概念として捉えてみれば、思っているよりもずっと多く、私達の周りに入り口は存在している。
普段歩かない散歩コースでたどり着いたY字路には二つの入り口がある。
あのとき見過ごした捨て猫もまた、入り口だったと言える。
友人という存在は、その一個体にいくつもの入り口を孕んでいる。その人間の歴史、生育環境、住居、趣味思想、癖、全てが未知の空間への入り口となる。
全てが何かを孕んでいて、その何かは時に自分の感性を更新し得る未知だ。
しかし、
「人はその未知を拓こうとはしない。」
連綿と続いていた思考に声が突き刺さった。
「全ては恐怖なんてものが存在してしまったから。安定という極上の寝具を誰でも手にできる世界になってしまったから。恐怖だって人類史始まってしばらくは有効な武器であり防具だったろうが、いまじゃそれを持て余す事の方が多い。」
「だがその恐怖を乗り越えて、或いは気にも留めずに進み続ける人間も居る。」
「そいつらは恐怖を脱ぐ事が出来た。使わなくなった武器と防具を箪笥にしまう選択が出来た人間たちだ。ただ思いだけの鎧を着た人間とそれを脱ぎ捨てた人間が徒競走をしたら、どっちが勝つと思う?」
私は言葉を返すのをやめた。
見過ごした入り口は幾つあっただろうか。
もしかしたら今、この瞬間にも見過ごし続けている入り口はあるだろうか。
私の思考は閉鎖的で循環する輪の中を、ぐるぐると回り始めた。
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