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瞑想は内宇宙を創造すること

私にとって瞑想は、現実を作り変える前の、内宇宙を創造する手段でもある。

瞑想もスポーツと同じようにいろいろ種類があって、実現させたい世界のビジョンを自分の中に描くことも、大事な瞑想のひとつだと思う。

またここを適切におこなえば、現実はほぼ自動的に変わっていく。

頑張ったり、無理したり、見合った苦しみで対価を払わなければ、欲しいものが手に入らないと思い込んでいる昔の私からはとても信じられないことだが。

適切におこなう、というのはとてもシンプル。
”ただ楽しくイメージする” だけ。

ポイントは3つ。
・ 感情をのせること(嬉しい、楽しい 感情)
・ 言葉ではなく、五感で再現すること
・ 実現にこだわらず、瞑想での体験自体を楽しむこと

シンプルだけど難しいのは、やってみたことのある人ならわかるはず。

実現させたいと強く思うことほど難しいのは、こういう状態になっているから。

理想の現実についてイメージしようとするとすぐに、「どうやって?」を考え始める。
そして今の狭い視野であれこれ可能性を検討するものの、結局は「今の自分の状況を考えると、難しい。」という結論に行き着く。

その思考パターンはほぼ自動的に起こり、たいていネガティブな感情とセットになっている。

そしてこの一連の思考体験は「私にはできない」という内宇宙の再創造となり、そのビジョンは忠実に現実に投影され、実際にできていない現実は、思考パターンとネガティブ感情をさらに強化していく。

このように世界は、内宇宙と外宇宙を循環させながら常に私たちの手で新しく作り変えられている。

そしてこれが、既にネガティブな感情と強く結びついてしまっている「実現させたい現実」を、楽しくイメージするのが難しい理由だ。

でも、だからこそ「実現させることにこだわらず」瞑想での体験自体を楽しむこと、を真剣に取り組むことが大切になる。

「どうやって?」を考えはじめた自分にまずは気付き、すでに叶った世界の楽しい感情に戻ってくる。

何重にも固く結んだ糸を、ゆっくり、根気よく、解いていくように。大丈夫、自分で結んだものは、自分で解ける。

いったん瞑想でのその世界の体験を楽しむことができるようになってくれば、実際に「実現させること」がそれほど重要ではなくなってくるはずだ。

十分深い瞑想状態で、何度も、体験したことは、
幸福や満足という点で、現実での体験とほとんど違いがないからだ。

この意味で瞑想は「別のリアルへ移動する活動」とも言えるかもしれない。

そうやって実現させることへの執着を手放したとき、その望みは(皮肉にも)あっさり実現に向かって進みはじめる。

それはパッと魔法のように目の前に現れるのではない。現実世界の制約に従って、穏やかな川の流れが笹舟をゆっくりと、音もなく、運んでいくのに近い。

私たちはただ、その笹舟でのんびり昼寝をしていればいい。いつの間にか、思い描いたままの岸辺に辿り着くまで。

ここでは、そんなふうに創造される。

現実作りがひととおりできるようになってくると今度は、”何を” 実現させるのかが、より重要だと気付く。

でもそれはまた、次の機会に。

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