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ハゼクチと有明海

有明海にはハゼクチという魚がいる。
名前の通りハゼの仲間で、一部の釣り人の間では名の知れた存在だ。

というのもこのハゼクチ、日本最大のハゼなのだ。成長すると40cmを越え、かつての記録では60cmを超えたという信じられない話もある。

その為、投げ釣り等を愛好する釣り人達にとっては憧れの魚のひとつでもあるらしい。

かくいう私も、2016年にハゼクチの存在を知って以来、この魚の魅力にすっかり取り憑かれてしまっている。

今回はハゼクチがどのような魚なのか、私の7年間の経験を元にまとめてみたい。



ハゼクチとは?

ハゼクチは日本では有明海とその周辺にだけ生息している。
“日本では”というのは、実はこのハゼクチ、日本以外だと中国沿岸や朝鮮半島などに広く分布しているからだ。

ハゼクチは大陸系遺存種と呼ばれる大陸から渡ってきた種のひとつだ。
数万年前の氷河期の時代、海面は今より遥かに低く日本列島と大陸沿岸は非常に近い時期があった。この時期に大陸沿岸から渡ってきた生き物たち。それが大陸系遺存種だ。


有名なムツゴロウや、エツ、ワラスボもそうやって大陸から渡ってきた魚だ。こういった独特な魚たちは有明海周辺だけに生き残った、言わば氷河期の遺産なのだ。

ハゼクチ含め、ムツゴロウ、エツ、ワラスボ他多くの大陸系遺存種が絶滅危惧種に指定されている。



ハゼクチの最大の特徴といえばやはり大きさだ。
といっても、常に大きいというわけでもない。驚かされることに、なんとハゼクチは一年魚。

夏頃まではこんな手のひらサイズ。

冬頃に急速に成長をし始め、そして個体によっては40cmや50cmにまでなる。

有明海沿岸では夏頃まではこのくらいのサイズを胴付仕掛けで狙う釣りが親しまれている。昔は防波堤や漁港などでコツコツと海底を叩きながら釣り歩くと1時間で20匹くらい釣れたそうだ。

夏場はかなり沿岸や河口に寄っているため、筑後川の川漁師たちも採っていた。干潮時に浅瀬を歩くと、その足跡の水溜まりのなかにどこからともなくハゼクチがやってくる。
そこに底を抜いたバケツを被せ逃げられないようにしてから掴み取るのだ。

非常に面白い漁法だが、今では年配の漁師から話を聞くのが精一杯。やってる人もいないし、何より今では筑後川にハゼクチが昔ほどいないんだそう。



有明海にはハゼクチだけでなく、実は普通にマハゼもいる。
上がハゼクチで下がマハゼ。マハゼの方が寸胴な体型をしており、黒い斑点模様がある。



何より簡単な見分け方は尾びれで、ハゼクチの尾びれには斑点がない。小さな個体でもこの特徴はよく現れるので見分けやすい。

とはいえ、有明海でマハゼが現れるのは湾の南側。釣りをしてると福岡県側なら大牟田市、佐賀県側なら太良町あたりから混じり始める。
おそらくそれは海底の問題で、柔らかい泥底に巣穴を掘り産卵するハゼクチは湾奥部(北側)を好み、砂泥底を好むマハゼは南側に多いのだろう。湾奥部の冬のハゼクチ釣りは本当にハゼクチしか釣れない。




泥の中に住むハゼ、ワラスボがこんな形に進化したわけだし、やはり長くなった方が軟泥だと生活しやすいのだろうか?……と話が逸れてしまった。



ハゼクチ釣り

そして厳冬期、ハゼクチは他のハゼを圧倒するサイズに成長する。

この時期のハゼクチを狙った釣りも盛んだ。
夏場のハゼクチ釣りが地元の方がメインなのに対し、この釣りは遠方から遠征してくる人も多い。

単調なフィールドなので、漁港や河口の澪筋、何かしら変化のあるポイントに多い印象ではあるが、干潟にも居るので難しいところだ。

釣り自体は一般にイメージするハゼ釣りというより、そこそこ大きな対象魚を狙うイメージの方が良いかもしれない。

ハゼクチは口が大きく獰猛で、針の大きさやハリスの太さは気にしなくて良い。私はハリス3号くらいに大きめの流線鈎を使うことが多い。虫餌は1匹掛けだ。
冬の有明海は悲しいほどに餌取りが少ない。ハゼクチ以外の魚が釣れないことも多々ある。

また海底が泥なので埋もれたオモリを引き抜く時など少々力をかけたり、大型のスズキがかかることもあり、ラインブレイクの可能性を考慮すると仕掛けは強めが望ましい。

投げ込んだあとはひたすら待つのみ。動かしたところでさほど効果はない。以前置き竿と比べてみたことはあるが、動かした方はショウキハゼしか釣れなかった。

ちなみに様々な仕掛けを試してみたが三本鈎の胴付仕掛けの一番上にも果敢にアタックしてくる。1匹でいくつかの鈎を食っていたりすることもあり、釣るだけならあまり気にしなくても釣れてくれる魚だ。

ただ大型個体となるとほぼ運頼りになる。有明海の他の生き物の中では比較的残っている方ではあるが、以前と比べれば数は減っている。

冬時期でも15cm程度の個体もいれば30cmに達してる個体もいたり成長はばらばらだ。また大型個体も2010年前後まではまだ釣れていたと聞くが、今では40cmを超える個体は少ない。とはいえ30cm前後までならまだ多くいて、ハゼクチ自体を釣るだけなら難しくない。

しかし大型個体の魅力に取り憑かれ、追いかけるとなると私のように7年かかることもあったりする……(笑)


ハゼクチはかなりの悪食なようで、胃内容物からはカニやエビなどの甲殻類、ハゼ等の小魚、果ては海苔まで様々なものを食べている。

写真左ハラグクレチゴガニ、右はムツゴロウの幼魚だ。
大陸から渡ってきた両種を、大陸から渡ってきたハゼクチが捕食する。実に有明海らしい食物連鎖だ(笑)

そのため、虫餌以外でも動物性の餌ならなんでも食ってくる。シラタエビ、スジエビ、貝のむき身では実際に釣れた。


飼育下でも貝のむき身やエビなどを与えるとすぐに食べる。かつてはアゲマキのむき身を餌に延縄漁をしていたそうだ。貝類も好みなのだろう。なんと贅沢な!
しかし、これも残念なことにハゼクチよりも先にアゲマキが居なくなってしまい今は行われていない。

これだけ悪食だとルアーでも釣れそうだが、単調な有明海でルアーを投げ倒す気力はなくしっかり試したことはない。誰か試したらぜひ結果を教えて欲しい(汗)




そして冬を過ぎるとハゼクチは寿命を終える。
写真は4月末に干潟で見つけたハゼクチだ。産卵を終え餌も食べず卵を守り、そして春になると痩せ細り 流れハシクイ と呼ばれる状態になって死んでいく。

ちなみに飼育下でも、夏に10cm台から飼育を開始したハゼクチが最終的には36cmにまで成長したが、4月に入る頃、前日まで盛んに餌を食べていたが突然死んだ。

やはり一年魚。春に産まれ、夏を待たずに死んでしまう。



ハゼクチ料理

そしてハゼクチは美味しい魚でもある。
有明海沿岸ではたまにスーパーにも並ぶこともあり、地元には好んで利用する人も多い。
ハゼ籠などの漁法で漁獲される。前記した延縄や、ハゼ掘りという1m程の穴を掘り干潟から物理的に掘り出す漁法もあったというが、今は途絶えてしまった。



もっとも一般的な料理は煮付けだ。
柳川周辺では煮付けることを炊くと呼ぶため、ハゼクチは炊くものなんだそうだ。マハゼよりも柔らかい身が際立つ。



サイズもあるので刺身にされることもある。
近年ではワラスボやムツゴロウも刺身で提供されることが増えた。どれも美味しいのだが、年配の方々は煮付け派が優勢だ。


そして、やはりハゼと言えば天ぷらだ。巨大ハゼなんだから、巨大天ぷらを作りたい。

まぁ、地元では天ぷらにするという話はあまり聞かないのだけれど(笑)





はい、おかしい。
これでも37cmの個体だ。となりの一般的なマハゼサイズ(のハゼクチ)と比べても凄まじい。



そんでもって、40cmのハゼクチともなれば1匹で定食になる。
大型のハゼクチの天ぷらはフワフワで、尚且つボリューム感(物理)もあり、1匹で十分満足出来る。



ちなみに地元の方曰く、ハゼクチで最も美味しいのはこの頬肉なんだそうだ。全体的に身質の柔らかいハゼクチの中で、例外的にしっかりとした歯ごたえがある。
柳河藩のお殿様はこのハゼクチの頬肉だけで蒲鉾を作らせていたという逸話も聞く。なんという贅沢……というかどれだけハゼクチがいたんだ昔の有明海……!!

とまぁ、ハゼクチは様々な料理法で利用されている。柔らかい身を活かせたら、もっと色々な方法で楽しめるのではないだろうか。

調べて面白く、釣って楽しく、食べて美味しい。

有明海の中ではちょっと影の薄い魚だが、実に興味深い魚なのだ。





終わりに

2020年2月2日。世界湿地の日、私は44cmのハゼクチを見ることが出来た。
友人の活躍でその日は44cmに加え、41cm、7年かかって叶わなかった大型個体を2個体も見ることが出来たのだ。この記事をまとめようと思ったのもその日の出来事のおかげである。

私にとって今ではライフワークのひとつである有明海。そのきっかけはハゼクチだった。

2013年、高校1年生の夏にハゼクチの存在を知り、その年の冬から有明海に通いつめ大型個体を追いかけた。高校生の間にはついぞ巨大なハゼクチの姿を見ることは叶わなかったのだが。

それでも、そこから数年の間に様々なことを知った。干潟のこと、大陸系遺存種のこと、有明海異変のことetc……大型ハゼクチがいない夏場はヤマノカミの遡上状況をひとりで記録し続けたりもした。

そんなこんなで高三の終わりには有明海再生に関わり始め、活動を途中で離れるべきじゃないと大学進学を断念したり、小さな水族館の館長になったり、漁協でエツの仕事をすることになったり、ノマド大学生になったり、干潟の保全に努めたり、本当に色々なことに繋がった。

もちろんそれは高校1年生の夏には想像もしなかった将来だ。

その点でいえばこの魚が最も私の人生を変えた魚かもしれない。

ハゼクチがきっかけで有明海の魅力を知り、有明海に魅了され、有明海のために行動を起こすようになったのだから。

「まさかこんなことになるとはねぇ」

この一言に尽きますな(笑)
そんな過去を振り返りつつ、よく考えればハゼクチが人生の転機だったのか、とひとりで勝手に感慨深くなってる私であります。

何がきっかけになるかなんて分からない。一人の高校生を保全活動家に変えてしまう程(笑)のハゼクチの魅力が少しでも伝わればなと思います。

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