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 悩み好転!『禅語の智慧』の物語 No.70

【転職編】

2024年5月20日(月)

悩み事:将来の仕事に自信が持てない

目次
1、あらすじ
2、禅語「「拈華微笑」(ねんげみしょう)」の解説

物語のタイトル:大吾と景子の微笑み物語
1、大吾の深い悩み
2、禅寺への訪問
3、拈華微笑との出会い
4、禅語の智慧の実践
5、大吾と慶子の成長
6、そば店での新たな風
7、幸せな結末
8、まとめ
9、ごあいさつ
10、柔海 剛山(じゅうかいごうざん)の『禅語の俳句』

1、あらすじ
大吾は、交通事故で両親を失い、残された農業を引き継ぐ決意をしたものの、成果が出ずに悩んでいました。そんな中、禅寺の法話で「拈華微笑」という禅語に出会い、微笑みの力を知ります。大吾はその教えを日常生活や妻・景子との関係に取り入れ、次第に心の重荷が軽くなります。さらに、趣味で学んだ手打ちそばの技術を活かし、そば店を開業することを決意。夫婦で協力し合い、店は繁盛し、地域に愛される存在となります。微笑みの力が二人の人生を大きく変え、真の幸せを見つける物語です。

2、禅語「「拈華微笑」(ねんげみしょう)」の解説
「拈華微笑」(ねんげみしょう)は、禅宗の重要な教えの一つで、「花を摘んで微笑む」という意味です。この禅語は、仏陀が弟子たちに言葉ではなく、花を摘み微笑むことで心の悟りを伝えたという故事に由来します。この行動を見た弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)はその意味を理解し、仏陀から教えを受け継いだとされています。つまり、言葉を超えた心の通じ合い、深い理解と共感を象徴しています。「拈華微笑」は、表面的なコミュニケーションを超えて、相手の心を理解し、共感することの大切さを教えてくれる禅の智慧です。

物語のタイトル:大吾と景子の微笑み物語

1、大吾の深い悩み
大吾は、交通事故で両親を失った後、家族が営んでいた農業を引き継ぐことを決意しました。父母が遺した畑は広大であり、四季折々の作物を育てることは容易ではありませんでした。大吾は毎日早朝から畑に出て、土を耕し、種を撒き、水をやり、雑草を取るなどの作業を黙々とこなしていました。しかし、天候不順や病害虫の被害に苦しむことも多く、収穫が思うようにいかない日々が続きました。
一方、妻の慶子は家庭内でのサポートや市場への出荷作業を手伝っていましたが、次第に夫婦の間に疲労と不満が蓄積していきました。大吾は心の中で「これで良いのか」と自問自答しながらも、答えを見つけられずにいました。

2、禅寺への訪問
そんなある日、大吾はふと目にした禅寺の法話の案内に心を惹かれました。少しでも心の重荷を軽くしたいと思い、その法話に参加することを決意しました。禅寺に足を踏み入れた瞬間、静寂と安らぎが彼の心に染み渡り、長い間感じることのなかった平穏を味わいました。

法話が始まり、住職の優しい声が響き渡ります。その話の中で、大吾は自分の悩みがいかに小さなものであるかを少しずつ理解し始めました。法話の後、大吾は住職に話しかけ、自分の悩みを打ち明けました。住職は優しく頷きながら話を聞き、「拈華微笑」という禅語を紹介しました。

3、拈華微笑との出会い
「拈華微笑」とは、仏が花を摘み、ただ微笑むことで心を通わせるという古い禅の教えです。住職はこう説明しました。「微笑みだけでも、心は通じるのです。何も語らずとも、相手の心を感じ取ることができるのです。」大吾はその言葉に深く感銘を受けました。微笑み一つで心を通わせることができる、そのシンプルな真実が彼の心に響きました。

住職はさらに続けました。「あなたが感じている重圧や不安は、言葉では解決できないことが多い。しかし、心からの微笑みは、相手に安心感を与え、自分自身にも平和をもたらします。まずは自分から微笑みを送り、それがどのように変化をもたらすかを見てください。」

4、禅語の智慧の実践
大吾は、この教えを胸に刻みました。帰宅後、まずは慶子に対して実践してみることにしました。忙しい毎日の中で、二人の間にはいつしか言葉が少なくなっていましたが、大吾はまず慶子に心からの微笑みを送ることから始めました。言葉ではなく、微笑みで気持ちを伝えることで、二人の間には新たな絆が生まれました。

夕食の時間、普段は無言で食事をしていた二人ですが、大吾は慶子に向かって微笑みかけました。慶子は最初、驚いた表情を見せましたが、その微笑みを受け取ると、自然と顔がほころびました。「どうしたの、急に?」と慶子は尋ねました。大吾は、「ただ、ありがとうと言いたかったんだ」と答えました。それだけで、二人の間の緊張が解け、温かい空気が流れ始めました。

5、大吾と慶子の成長
慶子もまた、大吾の微笑みを受け取り、心が安らぎました。二人はお互いをもっと理解し、支え合うことの大切さを実感しました。微笑みがもたらす心の通じ合いは、家族としての絆をさらに強くしていきました。

景子は、大吾の変化に気づき、自分もまた彼に微笑みを返すようになりました。朝の忙しい時間でも、お互いに微笑みを交わすことで、気持ちよく一日を始めることができました。小さな微笑みの積み重ねが、二人の関係を深め、家の中に暖かさをもたらしました。

6、そば店での新たな風
大吾にはもう一つの大切な趣味がありました。それは手打ちそばでした。農業の合間に、彼は近所のそば教室に通い、そば打ちの技術を学んでいました。そば打ちは繊細な作業であり、心の落ち着きが求められます。大吾は、そば打ちを通じて心を整え、毎日を丁寧に生きることを学びました。彼はその技術を極め、最終的にはプロコースを卒業しました。

卒業後も、大吾はそば教室からの要請で体験入門者のインストラクターとして手伝いをするようになりました。彼の熱心な指導と心からの微笑みは、多くの入門者に愛されました。ある日、教室の先生から「そば打ちの技術を活かして、そば店を開いてみてはどうか」と勧められました。

その提案を受け、大吾は真剣に考え始めました。慶子とも相談し、家族経営の手打ちそば店を始めることに決めました。二人は力を合わせて、店の準備を進めました。大吾の技術と慶子の温かい接客が合わさり、店は次第に地域の人々に愛される場所となりました。

そば店でも、大吾はまずお客様に微笑みで迎えることを心がけました。温かいおもてなしの心が伝わり、次第に常連客が増えていきました。慶子もまた、店の接客で微笑みを忘れずに、訪れる人々に心からのサービスを提供しました。夫婦の協力が実を結び、店は繁盛し始めました。

農業に対しても、大吾は新たなアプローチを取り入れることにしました。そば店の需要に応じて、自分の畑でそば粉の原料となるそばの実の生産を始めました。これにより、そば店と農業が相互に支え合う形となり、経済的な安定も得ることができました。大吾は、そば打ちと農業の両立を目指し、日々忙しくも充実した生活を送るようになりました。

7、幸せな結末
時間が経つにつれ、大吾と慶子の生活は安定し、心も豊かになりました。拈華微笑の智慧は、言葉を超えたコミュニケーションの力を教えてくれました。大吾はこの教えを日々の生活の中で実践し続け、周囲の人々との絆を深めていきました。

そば店は地域の人々に愛される場所となり、大吾と慶子はお互いを支え合いながら、幸せな日々を過ごしました。二人の微笑みは、お店を訪れる人々にも広がり、笑顔の輪が広がっていきました。

8、まとめ
大吾は両親の死後、農業の困難に直面していましたが、禅寺で「拈華微笑」の教えに出会い、微笑みの力を知ります。妻・景子との関係にその教えを取り入れることで、二人の絆は深まりました。趣味で学んだ手打ちそばの技術を活かし、そば店を開業した大吾は、微笑みを大切にした接客で店を繁盛させます。微笑みがもたらす心の通じ合いは、夫婦だけでなく地域の人々にも幸せを広げました。禅の智慧が大吾の人生を変え、平和と安らぎをもたらす物語でした。

9、ごあいさつ
この物語をお読みいただき、誠にありがとうございました。微笑み一つで心が通じ合う「拈華微笑」の教えは、私たちの日常生活にも多くの示唆を与えてくれます。困難な時こそ、微笑みの力を信じ、周囲の人々と心を通わせてください。それが、あなた自身と周りの世界を豊かにする第一歩です。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

10、柔海 剛山(じゅうかいごうざん)の『禅語の俳句』
     
 禅語の「「拈華微笑」(ねんげみしょう)」に関する俳句

花摘みて 無言の中に 心あり

上記の「花摘みて 無言の中に 心あり」の俳句の解説
この俳句は、言葉を超えた深いコミュニケーションを描いています。花を摘むというシンプルな行動に込められた微笑みが、無言の中で相手の心と通じ合う様子を詠んでいます。静寂と理解の美しさが表現されています。

花摘みて:禅の教え「拈華微笑」に基づく行動を象徴しています。花を摘むという行為は、シンプルでありながら深い意味を持ち、微笑みの背景にある心の穏やかさと悟りを表現しています。

無言の中に:言葉が不要な深い理解と共感を示しています。禅の教えでは、時には沈黙が最も深いコミュニケーション手段となり得ます。この句は、その静寂の中に豊かな意味が込められていることを示しています。

心あり:表面的な言葉を超えた真実の心が通じることを示しています。微笑みと共に花を摘む行為の中に、相手への思いやりと理解が存在していることを表現し、禅の深い智慧を伝えています。

2024年5月20日(月)
柔海 剛山   

【追記】
当サイトは個人的な見解や意見に基づいたものでは一切ありません。
多様な文献や資料、そしてインターネット上の情報源を参考にして、可能な限り柔軟かつ包括的な観点から、情報を物語化して提供することを目的としています。

『柔海 剛山流(じゅうかいごうざんりゅう)あるがままの俳句』とは
『柔海剛山流 あるがままの俳句』は、「あるがまま」という表現を核に持ち、曹洞宗の開祖である道元禅師が提唱した生き方の哲学からインスピレーションを受けています。この哲学は、物事をそのままの姿、自然な状態で受け入れ、現実を直視することの重要性を強調しています。この禅の教えに基づき、私の自由律俳句では自然体でありのままの感覚や感情を詩に昇華させるために「あるがままの俳句」という名前を採用しています。


伝統的な俳句は文字数や季語などの厳密なルールによって特徴づけられますが、現代ではこれらのルールに拘束されない形式の俳句も存在します。この形式は「自由律俳句」と呼ばれ、従来の5-7-5の音節制限や季語の必須性を除外した形式です。

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