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 悩み好転!『禅語の智慧』の物語 No.73

【大学受験編】

2024年5月26日(日)

悩み事:生活習慣の改善が難しい

目次
1、あらすじ
2、禅語「無位の真人(むいのしんにん)」の解説

物語のタイトル:禅語で見つけた自分
1、舞の悩みと日常生活
2、無位の真人との出会い
3、生活習慣の見直し
4、受験勉強への集中
5、希望の大学への合格
6、家族の絆とサプライズ
7、まとめ
8、ごあいさつ
9、柔海 剛山(じゅうかいごうざん)の『禅語の俳句』

1、あらすじ
舞は高校3年生で、大学受験を控えています。彼女は絵を描くことが趣味で、芸術全般に興味があり、将来は自分の趣味を活かせる企業に就職したいと考えています。しかし、スマホの使用時間が長く、友人関係も断ち切れず、勉強に集中できないことが悩みです。そんな中、母親から「無位の真人」という禅語を教えられ、自分の中にある本来の自分を見つめ直すことを決意します。生活習慣を見直し、勉強に集中できるようになった舞は、希望の大学に合格し、家族の絆も深めることができました。この物語は、禅の智慧を通じて悩みを乗り越え、目標を達成する舞の成長を描きます。

2、禅語「無位の真人(むいのしんにん)」の解説
「無位の真人(むいのしんにん)」とは、禅の教えにおいて重要な概念の一つです。これは、人が地位や役割、社会的な評価などにとらわれず、本来の純粋な自分自身を見つめることを意味します。「無位」とは、何の位置付けもない状態を指し、「真人」とは真実の人、つまり偽りのない本当の自分を指します。人は日常生活の中で多くの迷いや思い込みに縛られがちですが、この禅語はそれらから解放され、自分の内なる本質を見つめ直すことの重要性を教えています。「看よ」、すなわち自分自身をしっかりと見つめ、本来の自分に目覚めることで、心の平穏と真の幸福を得ることができると説いています。

物語のタイトル:禅語で見つけた自分

1、舞の悩みと日常生活
舞は高校3年生で、来年大学受験にチャレンジする予定です。彼女の趣味は絵を描くことで、芸術全般に興味を持っています。家では母親の料理を手伝い、特にケーキ作りが得意です。自分の趣味を活かせる企業に就職したいと考えている舞は、どの学部に進むべきかを決めかねています。

舞の悩みは多岐にわたります。スマホの鑑賞時間が長く、友人との縁が切れないこと、勉強に集中できないことが主な悩みです。受験に向き合うために、絵画クラブの退部を考えていることも心の中で葛藤しています。これらの問題が積み重なり、舞はますます迷ってしまう日々を送っていました。

家庭環境も舞に影響を与えています。弟は手のかからない中学生で、父親は高学歴で仕事で重責を担っています。父親はややスパルタ教育的で、母親は気難しい亭主を盛り立てつつ、柔和な家庭維持に奔走しています。母親は舞の最大の理解者であり、彼女にとって唯一の心の支えでもあります。

舞は絵を描く時間が何よりの癒しでしたが、受験勉強に集中する必要性を感じており、その趣味すら楽しむことができなくなっていました。また、友人たちと過ごす時間も大切に思っていましたが、それが勉強の妨げになっていることを感じ始めていました。これらの葛藤の中で、舞は一体どうすればよいのか、深い悩みの中にいました。

2、無位の真人との出会い
ある日、舞は母親と一緒に台所でケーキを作っている最中に、母親がふと口にした「無位の真人」という言葉を耳にしました。母親は穏やかな声で、「人が迷いや想いにとらわれてしまうのは、自分の中にある『無位の真人』を見失っているからなのよ。看よ、そして本来の自分に目覚めよう」と語りかけました。

この言葉は、舞の心に深く響きました。「無位の真人」とは、自分が本来持っている純粋な心のことであり、それを見失っているからこそ悩みが生まれるという意味です。舞は、自分が本当に望んでいることを見つけるためには、自分の内面を見つめ直す必要があることに気づきました。

その夜、舞は自分の部屋で静かに座り、母親の言葉を反芻しました。自分の中にある「無位の真人」とは何だろう? どうすればそれを見つけることができるのだろう? 舞は深く考え、自分の心の奥底にある本当の自分に目覚めることが大切だと感じました。彼女は、自分の中にある「無位の真人」を見つけるために、まずは自分の生活習慣を見直すことから始める決意をしました。

3、生活習慣の見直し
翌朝、舞は新たな気持ちで一日をスタートしました。まず最初に取り組んだのは、スマホの鑑賞時間を減らすことでした。舞はスマホを使う時間を一日に一時間と決め、その時間が過ぎたらきっぱりと止めることを心がけました。最初は辛かったものの、次第にその制限に慣れ、スマホの依存から解放される感覚を得るようになりました。

次に取り組んだのは、友人との付き合い方の見直しです。舞は友人たちとの縁を完全に切るのではなく、受験勉強に集中するために、会う時間を減らし、必要な時だけ連絡を取るようにしました。友人たちも舞の状況を理解し、彼女を応援してくれるようになりました。

絵画クラブについても全てを諦めるのではなく、週に一度だけ参加することで、自分の趣味を続けながらも勉強に集中する時間を確保しました。これにより、ストレスを感じることなく受験勉強に取り組むことができるようになりました。また、クラブ活動を減らした分、家庭での時間を増やし、母親と一緒に料理を楽しむことができました。

4、受験勉強への集中
新しい生活習慣に慣れると、舞は次第に勉強に集中できるようになりました。スマホの誘惑から解放され、友人との時間も調整できたことで、学習効率が格段に向上しました。絵を描く時間も減りましたが、その分、描くたびに集中力が増し、短時間で質の高い作品を生み出すことができるようになりました。

舞は自分の目指す学部についても再考し、自分の趣味や興味を活かせる芸術系の学部が最も適していると感じるようになりました。母親と相談しながら、具体的な目標を定め、そのために必要な勉強計画を立てました。舞は毎日決まった時間に勉強し、休憩時間には軽い運動や読書を取り入れることで、リフレッシュしながら勉強を続けることができました。

彼女はまた、父親の助言も聞き入れるようになりました。父親の厳しい言葉には、彼なりの愛情が込められていることを理解し、素直に受け入れることで、自分を成長させる材料にしました。父親も、舞が一生懸命に努力している姿を見て、少しずつその態度を軟化させるようになりました。

5、希望の大学への合格
努力の甲斐あって、舞は希望の大学の芸術系学部に見事合格しました。彼女は、自分の中にある「無位の真人」を見つけることで、本来の自分に目覚め、迷いや想いにとらわれることなく、目標に向かって集中することができたのです。舞の努力と家族の支えが実を結び、合格の知らせは家庭全体に喜びをもたらしました。

合格の知らせを受けた舞は、母親と喜びを分かち合いました。母親は舞をしっかりと抱きしめ、「あなたが自分を信じて努力したからこそ、この結果が得られたのよ」と涙ぐみながら言いました。舞も、「お母さんの言葉がなかったら、私はきっと迷ったままだったと思う。本当にありがとう」と感謝の気持ちを伝えました。

6、家族の絆とサプライズ
父親も厳しい言葉を言いつつも、内心では舞の努力を認めており、合格を祝うためにサプライズの一泊の温泉旅行をセッティングしていました。舞はこのサプライズに大変驚き、そして喜びました。家族全員で温泉旅行を楽しむことができるのは、舞にとって最高のご褒美でした。

温泉旅行では、家族全員がリラックスし、楽しい時間を過ごしました。父親は舞に、「お前の努力を誇りに思う。これからも自分の道を信じて進んでいってほしい」と語りかけました。母親も、「無位の真人」の教えが舞に与えた影響を喜びながら、舞を温かく抱きしめました。

この旅行を通じて、家族の絆はさらに深まりました。舞は、自分の努力と家族の支えによって、夢を叶えることができたことに感謝し、これからも自分の中にある「無位の真人」を大切にしていく決意を新たにしました。彼女は、自分の成長と家族の絆を感じながら、新たなステージへと進んでいくことを心に誓いました。

7、まとめ
舞は高校3年生で、大学受験を控えています。彼女は絵を描くことが好きで、芸術系の学部に進むかどうか迷っていました。スマホ依存や友人関係、勉強への集中不足に悩む舞は、母親から「無位の真人」という禅語を教えられ、自分の本来の姿を見つめ直すことを決意します。生活習慣を改善し、勉強に集中できるようになった舞は、希望の大学に合格します。家族との絆も深まり、父親のサプライズ温泉旅行で喜びを分かち合います。この物語は、禅の智慧を通じて悩みを乗り越え、自分の道を見つけ出す舞の成長を描いたものです。

8、ごあいさつ
ご購読いただき、誠にありがとうございます。この物語を通じて、禅の智慧が皆様の人生にも役立つことを願っております。自分自身を見つめ直し、本来の自分に気づくことが、悩みを解決する鍵となります。どうか、自分の中にある「無位の真人」を見つける旅を続けてください。皆様の心に平穏と幸福が訪れることを心からお祈りしています。またお会いできる日を楽しみにしております。

9、柔海 剛山(じゅうかいごうざん)の『禅語の俳句』
        禅語の「無位の真人(むいのしんにん)」に関する俳句

静かなる 心の中に 真人あり

「静かなる 心の中に 真人あり」の俳句の解説
「静かなる 心の中に 真人あり」は、内面の静寂と真実の自分を見つめることの大切さを詠んだ俳句です。心の中にある本来の自分を見つけることで、日常の喧騒や迷いを超越し、心の平穏を得ることができます。禅の教えを凝縮した深い作品です。

静かなる:外界の騒音や心の雑念から解放された状態を示しています。この静けさは、内面的な平穏を象徴し、心を鎮めることで自分自身を深く見つめることができる重要な要素です。静寂は禅の修行においても重要です。

心の中に:外部ではなく自分自身の内面に目を向けることを示しています。心の中にある本来の自分を見つめ直すことで、真実の自分に気づくことができます。内省することが自己理解と成長の鍵であることを示しています。

真人あり:本来の自分が心の中に存在していることを意味します。社会的な役割や地位に縛られず、真実の自分として存在することの重要性を示しています。自己の本質に気づくことで、迷いや悩みを超越する力を得ることができます。

2024年5月26日(日)
柔海 剛山   

【追記】
当サイトは個人的な見解や意見に基づいたものでは一切ありません。
多様な文献や資料、そしてインターネット上の情報源を参考にして、可能な限り柔軟かつ包括的な観点から、情報を物語化して提供することを目的としています。

『柔海 剛山流(じゅうかいごうざんりゅう)あるがままの俳句』とは
『柔海剛山流 あるがままの俳句』は、「あるがまま」という表現を核に持ち、曹洞宗の開祖である道元禅師が提唱した生き方の哲学からインスピレーションを受けています。この哲学は、物事をそのままの姿、自然な状態で受け入れ、現実を直視することの重要性を強調しています。この禅の教えに基づき、私の自由律俳句では自然体でありのままの感覚や感情を詩に昇華させるために「あるがままの俳句」という名前を採用しています。

伝統的な俳句は文字数や季語などの厳密なルールによって特徴づけられますが、現代ではこれらのルールに拘束されない形式の俳句も存在します。この形式は「自由律俳句」と呼ばれ、従来の5-7-5の音節制限や季語の必須性を除外した形式です。

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