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徒然なるままに

中学生になりたてのとき、当時仲の良かった地元の友人とホームページを作った。私たちの共通の趣味は創作で、pixivなどのSNSがなかったあの頃自分たちの創作物を公開するにはそれが一番手っ取り早かったのだ。

ホームページを作るにあたり、いくつかのコンテンツを揃える必要があり、私はweb日記を担当することになった。それまでも海外少女文学などで主人公が書く日記に憧れて、紙媒体の日記をつけようとしたことは何度かあったが、いつも三日坊主だった。そんな私だが、このweb日記に関しては違った。家にきたばかりのパソコンを使うのが楽しかった、というのももちろんあるが、私の書いたものを誰かが読んでくれる環境が嬉しかったのだ。勿論そのホームページはネット上に公開されているとはいえ、見ているのは私と友人それぞれの知人がほとんどだったのだろうと今は思うのだが、当時の私は人気の作家にでもなった気分で日常を綴っていた。そしてそのweb日記に「つれづれ日記」というタイトルをつけた。多分当時は「つれづれ」の意味もまともにわかってなかった気がする。当時の私は兼好法師に謝った方がいい。

まぁ、ともかく、私は中高時代、隙を見つけては日記を書いた。毎日起伏に富んだ生活をしていたわけではないので基本的に話題は漫画のことばっかり。ジャンプ本誌やらアニメの感想、好きなキャラの話、グッズ購入にまつわることなどを書き散らかした。画像投稿もできるものだったので推しキャラの絵を描いて載せたり、もらってきたバトンやら質問やらをダラダラ書いたり。この時間を勉強に費やせばもう少し賢い人間になれた気がする。まったく「つれづれ」ではない時間を私は日記に溶かしていた。

大学生になって、日常生活が忙しくなった。忙しいといっても遊びに忙しいだけだが、日常生活で起きたことが記事の中心になったので、書く場所をmixiに移行した。実際に顔を合わせている人たちに読まれることを意図した日記なので、基本内輪ネタである。ただ、書くのが好きだった私は、他の人に比べると相当長文の日記を書いていたと思う。それでも好きなものについて書くことはぐっと減った。特に書こうと思わなかったのは、きっと自分の興味が別の方向に向いていたからなのかなとも思う。この頃はオタ活も大人しかった(当社比)。今思えば大学生とかいちばん自由にできる時期だったんだよなぁ、今と少しオタ活文化も違ったからなぁ…。

そうこうしているうちにmixiも廃れ、私も社会人になった。SNSは多少続けてはいたものの、基本的に鍵アカウントだったため、不特定多数の誰かに向けての発信は、だいぶお休みしていたことになる。

そんなとき、twitterで読書垢なる存在を知った。読んだ本について語れる場を作る、そのことに抗い難い魅力を感じた私はアカウントを作り、気が付いたら本だけじゃないいろいろなことをそこで発信するようになっている。私の根本には、やはり好きなものについてを語れる場が欲しいという思いがあるのだ、ということに気付かされた。そしてさらに、今はこうやってnoteを書いている。

書くことは、私にとって大事なことなのであろう。「つれづれ」な時間を作り出してまで、私はこうして思いを記している。初めてwebで日記を書いたときと同じで、読んでくれる人がそうたくさんいるわけではないだろう。でも、やっぱりやめられない。

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