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自分と相手。感じ方はきっとそれぞれなはず。

こんにちは。
最近ふと疑問に思うことがあります。

自分とそれ以外の人がいて、
皆生きてきた場所、性格、関わってきた人々‥‥

きっと全部違うはずなのに、
同じはずがないのに、
なぜかたまに自分と人で感じることは同じと捉えてしまうことがある。そして勝手に察してしまう。自分と重ね合わせてしまう。

確かに、これは高い確率で皆こう思う、こう感じるって客観的に見ても考えられることはあるけれど‥‥
というか、もしかしたらだいたいがそういうことで溢れてるのかもしれないけれど‥‥

実際にはやっぱり本人にしかわからない気持ちだってあると思います。人間の心は良くも悪くも複雑なので‥‥

察するということは大切だし、必要なことなのかもしれないけれど、
必要以上に察してしまって傷つくとか、
嫌な思いをしたりするのはちょっとだけ勿体ないのかなと思ってしまいます(私もやってしまうんですけど)。

『今~って思われたかも』、『~さんには嫌われてるかも』とかって

合ってることもあるけれど、

そうじゃないこともたくさんあったんじゃないかなと思います。

それは自分の性格や、経験してきたこと、考え方などから人の気持ちを汲み取ろうとすることはできても、すべて読むことは難しいのではないかと、私は感じるからです。

汲み取ること、気持ちを推察することは素晴らしいことだと思います。それが今までの人間関係や仕事で人の役に立っている部分もきっと多くあったかと思います。

ただそれが自分を傷つけてしまう方向、暗く考えてしまう方向に行くのはもったいないかもですね。

日頃から考えることが癖になっている方は急に考えないようにするのは難しいと思いますが、もし私と同じように
『こう思われる』とか『嫌われたかも』的な思考が強い方は、

🌱自分が信じる『相手を想っての行動』をしてみる。

ただそれだけに集中してみる練習を一緒にしてみませんか?

そこから相手が何を思うかはちょっとだけ切り離す努力をしてみようかなと思います。
違うなら違うと言ってくれることを信じて。
違うと言われるのも怖いけれど、
もしかするとなにも言わずに私の前から居なくなってしまうのかも‥‥
そう思うと何もかも怖いけど、
やってみようかな。
だって何をしても、しないのも怖いのだから。
だったら自分が信じる善意ある行動を意識して
自分のことを今より好きになれたらと思う。

そして、『これをしてほしいのかな』も大事だけれど、『これをしたいな』という自分の気持ちで動くことも大切にしたい。


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