ワイヤレスイヤホンを買おう その2


あれほど当該イヤホンについて敵意むき出しだった私が、なぜ掌を反すことになったか。理由は2つある。

まずは、キャラクターコラボ商品が発売されたことだ。吹奏楽部を舞台とした人気コンテンツの新作映画公開に伴い、各所でコラボキャンペーンが開催されている。このコンテンツは私が高校生の頃にアニメ化を果たし、当時それはもう熱心にリアルタイムで視聴していた。中学校及び高校での純粋な吹奏楽部教育を受けてこなかった私でさえも、音楽への関心が高まるのを感じていた。また、組織に属していた友人は「とんでもないリアリティだ」と評している。少年はこの意味を数年後に実感することになる。
さて、コラボイヤホンはオンライン販売の他、仙台では40個限定で入荷しているらしい。映画の入場者特典はもらえなかったがこのイヤホンを持っている方が少数派だろう。マウンティングではない。ちなみに私は主演声優の黒沢氏と別のイベントで対面したことがある。そういえばお渡し会だったので喋ったと言っても嘘ではない。私は主演声優の黒沢氏と会話をしたことがある。羨ましがる声が聞こえてきそうだが、人生での数少ない自慢のため大目に見てもらいたい。

もう1つは、発売元にある。別の企業が売り出していたら、50%しか買う気になっていない。私の周りには、何を隠そうYAMAHAに勤める予定のスーパー社会人候補生がいるのだ。友人の会社の商品を贔屓に購入することは彼の生活基盤を豊かにするに違いない。研究に伴う実験の旅費を肩代わりしすぎて破産寸前の彼を救ってあげられるのは私しかいない。不買運動の反対だ。真っ先に対義語が出てこないあたりメジャーな行動ではないかもしれない。他社の購買運動の依頼はX(旧Twitter)にお願いします。この改名は誰が得をしたのか。ラジオを聴いていても旧~の注釈がついて回る。もう一度名前が変わっても、(旧X)とは呼ばれないだろう。ちなみにYAMAHAはコラボの一環で、主人公が使用する楽器(44万円相当)を1名にプレゼントするという。なんともパワー系の企画である。

2つの大義を掲げ敵陣へ赴くことを決意したものの、呆れるほど暑いアーケードを歩きながら気が付いた。昼すぎのこの時間には他の客がおらず目立ってしまうかもしれない。これは繁盛していないと言いたいわけではない。楽器や関連道具を買いに来る学生たちがまだいないのだ。あの城は入口兼出口が1つしかない。外から在庫を見ようにもこの気温では倒れてしまう。とはいえ静寂に包まれているあの空間で、もし目当てのものがなく撤退する羽目になったらと考えると恐ろしい。こいつは何をしに来たんだと思われ途端に不審者になってしまう。その展開は避けたい。足取りが重くなっていると、なんとTシャツに短パン姿の男性が無謀にも本陣に突入していくではないか。渡りに船である。このリラックススタイルで乗り込めば店員の目は釘付けに違いない。その隙に店内を物色すればミッションクリアだ。機を逃してはならんと直ちに追跡する。

興奮状態で一周する。何としても短パンが的になっているうちに事を済ませたい。コラボ用のパネルは見つけた。しかし肝心のイヤホンがない。人に聞く度胸は持ち合わせがないため、もう一度回ってみる。2色の美しい塗装を施された楽器が数多く並んでいる。リコーダーもある。防音室も置いてあった。クラリネットはどこだ。見ているうちに地下へと続く階段に気が付いた。頭に飼っているメタグロスが計算を始める。なるほどイヤホンは下にあるのか。嬉々として乗り込んだものの楽譜の山に飲み込まれてしまった。万事休すとなり地上に戻ると、短パンが姿を消していた。謀反だ。店内には私一人。暑さで限界だったのもあり、観念して聞いてみると、奥の棚から宝物が出てきた。最初から誰もがふれられる位置になかったのだ。試されていたに違いない。声をかける勇気を持つ者のみが手に入れられる代物だった。エクスカリバーと同義。この聖イヤホンを引っこ抜くことに力を使い果たした私はポイントカードを出す気力もなく、チケットを予約していた映画館へと撤退した。


ちなみにイヤホンはまだ開けていない。

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