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「HSP」を強みに出来なきゃ駄目ですか?

これを読んでくださっているのは、きっとHSPという気質と一緒に生きてきた方が多いんじゃないかと思う。これを書いている私自身も、HSS型HSEの気質を持っている人間の一人だ。

物心ついたときから、なんだか生きにくいなと感じてきた。光や音、匂いなど物理的な外的環境からの刺激だけじゃない。周囲の人間の言葉や表情から繊細に感情を読み取ってしまう。
そして、自分の内面に目を向ける時間を作らないと、どっと疲れてしまう。
HSPという言葉を知る前から、自分にはそういう一面があるなと感じてきた。外交型であるため、他人からはずっと「人一倍明るくて周りを気遣える人」と評価され、何かとまとめ役やリーダーになることが多かった。そんな自分にモヤモヤしていた。

自分はHSPなんだ、とわかった時、すとんと腑に落ちるような感覚があった。と、同時に、5人に1人という高確率で仲間がいる事に驚いた。
この世界には、HSPという言葉を知らなかったとしても、自分の繊細さに辟易しながら、時に感謝しながら生きている人がこんなにも沢山いるんだ、って。正直ほっとした。
最近「HSPブーム」だと言われているが、その言葉が知られれば知られる程、自分はHSPであると公言する人の人数が増えるのも当たり前だ。
そしてHSPが注目されればされる程、私達の生き方について「どうすべきか」のアイデアを共有してくれる人が増えていく。

それ自体は嬉しかった。

SNS上で共感し合ったり、励まし合ったり、繊細な気質を持ちながら生きていく上での暮らしのアイデアを教えてもらったり。常に謎の孤独感に苛まれていた私としては、それはとても有難い事だと感じている。

しかしそれと同時に、HSPという気質は、私達を構成する1つの要素でしかないということを認識しておかなければいけないとも考えるようになった。
HSP自体、程度も種類も様々。そして、一人ひとりそれぞれの人格、それぞれの人生、それぞれの価値観がある。似たような悩みを抱えやすいからこそ親近感を感じ、自分と他人を同一化してしまいやすい。
繊細な気質を活かす!」「HSPを強みに!」といった趣旨の記事やツイートを見て、私もそうするべきなんだ、周りのHSPさんもそうしているんだから、と努力したことがあった。しかし、どうにもうまくいかない。そして「私の頑張りが足りないからだ」と落ち込み、自分を責める。勿論、繊細な気質を持っているからこそ得をする事もあるが、私の場合残念ながら成功体験だけでは無いようだ。

そうやって落ち込んで、暫くSNSを閉じて、考えてみた。「HSPを強みに出来なきゃ駄目なのか?」って。
確かにHSPを障害のように捉えるのはなんだか違うとは思う。しかし、どんなものにも一長一短がある。どんな気質にだって言えることだ。そして長所を伸ばす事は出来ても、短所を完全に排除することはできない。
私はそれまで、「HSPを強みに」という言葉を、「HSPを長所に変換する」という意味で解釈していた。しかし、それは不可能であると今は考えている(少なくとも、私自身は)。

この気質で損をする事だってある。寧ろ、そういったネガティブな体験のほうが記憶に深く刻まれてしまう。
しかしそういう時に、「私にはそういうところがあるからしんどかったね。よく頑張ったね
と繊細さを認めてあげて、労ってあげることのほうが、私には必要なことなんだと思った。

より多くの情報が飛び交うようになった今だからこそ、他人と自分を切り分けて、自分と向き合う時間を増やしていきたい。
だれかと共感しても同一化せず、「そういう人もいるよね」「そういう考え方もあるよね」と、お互いを否定する事なく生きていきたい。

という、長い長い独り言。

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