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初めてのひとりお籠り日記③
お休みをもらって三日目。相変わらず6時に目覚めてしまうのは習慣が体に染みついているからか。朝日を美しいとはまだ思えなくて、ただ眩しいだけだった。心がざわざわして、なんだか落ち着かない。
今日わたしは、本来出勤する予定だった。突然長期にわたる休暇をもらったせいで、人員に穴が開いてしまった。今頃、私の代わりに誰が働いてくれているのだろう。罪悪感を払拭するために、やり残していた仕事に手をつけた。自分の甘さを許してもらえるような気がして。
一通り終わらせて、少し気分が晴れた。
休んでもいいのだとやっと思えて、またひと眠りした。
昼になって、久しぶりに料理をしてみようという気になった。ここ数週間、何食べてたっけ。コンビニでご飯を買った記憶も、スーパーでお惣菜を買った記憶もないので、本当にどうやってお腹を満たしていたのか思い出せない。
冷蔵庫を開くと、いつ買ってきたのか思い出せない玉ねぎが、寂しそうに冷蔵庫の端で体育座りしていた。
食べられるか、食べられないか、かなり悩ましい。恐る恐る皮を剥いてみると、つやつやで真っ白の中身が出てきた。
よくぞここまで腐らずに耐えたな。偉いぞ玉ねぎ。
忙しいなりにも、もっと早く切って、冷凍してあげればよかった。タフに見えるやつほど、案外しんどかったりするものだ。ごめんよ、お疲れ様。
と、玉ねぎに散々感情移入してしまった結果、玉ねぎだらけの昼食が完成した。
やけに玉ねぎの分量が多いトマトスープをすすりながら、「私、生きてんなあ」と感じた。
何を食べるか考えることって、生きることであり、自分に与えられる愛のひとつだと思う。
今日は、一つの玉ねぎと、わたしという一人の人間をすこし愛してあげられた一日だった。
***
そういえば、さっきたまたまテレビでLGBTQ特集をみかけた。そのなかでとても印象的なお話をされていた。
「人は皆他人と異なる部分を持ち合わせているため、誰しもがマイノリティといえる。だから、マイノリティに優しい社会にすることは、マジョリティに優しい社会にするということだ」(大体こんな感じだった気がする)(適当でごめんなさい)
私は、所謂「HSP気質」であり、「アセクシュアル」という性的マイノリティでもある。
日常生活の至る所で私の価値観について「変わってるね」「考えすぎじゃない?」と評価する人は少なくないし、私の恋愛観に対して、「それは恋愛じゃない」「相手が可哀想だ」と否定されることはとても多い。
でも私からしたら、
そう言うあなたも私にとっては異質で理解し難い。変わっている。
あなたも私からしたらマイノリティだ。
私にそんなあなたを否定する理由も権利も無いけれど。
誰も損をしたり、傷つくことのない世界になればいいのにな。
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これまでnoteやtwitter等でHSPについては言及してきたが、アセクシュアルについては言及してこなかった。また機会があれば、文字におこそうと思う。
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