見出し画像

法学徒徒然②

前回の最後は、以下のように書いていたと思います。

「法学ってなに?何を勉強するの?それは何かの役に立つの?おもしろいの?」という疑問が湧き上がってくると思います。それについてはまた次回に。

今回は、こちらについて自問自答していきます。

「法学って何?」「何を勉強するの?」

法学をより詳しく言うと「法律学」です。あたりまえやろ、と思いになるでしょう。私なりにもう一歩進めると、法律学とは「法解釈学」と「それ以外」に分かれます。まずは一つずつ検討していきたいです。

「法解釈学」ヲ想フ


法学徒として人生再スタートしてから(つまり大学一回生の時から)法律を学んでいるにもかかわらず、今自分がやっていることは何のかよくわかっていませんでした。それがやっとわかったのは大学四回生のころ(遅っ!!)。きっかけは、「法令解釈の常識」と言う林修三さんの本です。この方は内閣法制局長官を10年間も務めた方で、要は、日本の法律を作る際の中心となる部署のトップを務めた、法律の文章自体を作成するプロです。

この本では、「法律を解釈するとはどういうことか」という話を分かりやすい事例とほどほどに詳細な(つまり、研究者の本ほどは詳細すぎず、また完全に初学者向けとも言えない程度の程よい詳細さで)解釈手法が紹介されています。そう、法律には「解釈」が必要で、そして法学部生が法学部で法律を学ぶときは、基本的にこれを学んでいるんだ、と、学部四回生にしてやっと気づきました(よくこれでロースクールの試験に合格したもんだな、と今でも不思議に思っています)。

まとめると、いわゆる、「六法」科目(憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法+行政法で七法)と呼ばれる授業で、法学部の学部生が学んでいる内容はこんなところだと思います。

・法律自体(どういう法律があるか、その法律の趣旨、要件と効果等)
・法律解釈(実際の事実を法律の規定に当てはめる際の思考の次元の落としこみ方を学ぶこと)
 ーその規定自体が作られた際に想定されていた  
  デフォルト・ケース自体を学ぶこと
 ーそのデフォルト・ケースを逸脱した事態が発
  生した際にその規定を適用すべきかすべきで
  はないかの判断の仕方を学ぶこと

ざっとまとめるとこんな感じでしょうか。私が今まで経験してきた法律に関する授業では、例えば「法」の概念や「民法」の歴史的発展の話など、「その法律は○○という法律である」という説明はあっても、「今から私たちはどういう次元の勉強をしていくか」と言う説明はありませんでした。法律は、良くも悪くも実生活と離れたモノの考え方をする学問なので、こういう頭の整理なしに法律の勉強を始めてしまうと、チンプンカンプンで全く面白くなくなってしまうと思うんですよね(繰り返しになりますが、それを大学4回生の時に気づきました。いかに私が不真面目な法学部生だったかが分かりますね(笑))。

ここで一点補足です。「解釈」とは何ぞや、と言うことです。普段生きていて自分が何かを「解釈」しているなんて実感して生きている人はいないと思います。「解釈」と言う行為自体はとても普遍的な行為なのですが(この点については「記号論への招待」という本が非常に面白かったです。この本についてもnoteの記事にしたいな、って思っております)、法律を学ぶ上ではこの行為と延々向き合わなければなりません。

まずそもそも「法」とは何?という哲学的問題もあるのですが、ひとまずここでは「市民の社会生活を規定するルールの中で、国家権力によって強制できるかまたは権威づけられるもの」とします。こういう意味での法は、民主主義国家日本では、国民の代表である国会議員を構成員とする国会によって定められた「法律」という成文法の形で定められます。成文法とは、法が文字であらかじめ作られている法ということです。もちろん不文法(文字で定められていない法)もあります。日本でもあります。

さて、法を先ほど述べた定義でとらえるなら、その内容は抽象的なものにならざるをえません。たとえば、日本で一番裁判で使われているであろう民法709条は、以下のような文面になっています。

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
民法709条

ルールと言うのは、何か問題がありそれを未然に防ぐために作られる「問題解決の型」のようなものです。ルールを作る人の頭の中には、具体的な紛争(法学っぽくいえば、「立法事実」と言われたりします)が思い描かれていて、それをもとにルールが作られます。でも、いったん作られてしまうと、その文面だけ見ればやはりどうしても抽象的にならざるを得ないし、ルールを作る側としても、ある程度抽象的な内容でないと自分が想定していた問題を解決する以外は全く役に立たないルールになってしまい、それではルールを作って似たような紛争を未然に防ごうとした目的が達成されないのです。

しかし、実際に起こる事件は具体的です。先ほどの民法709条はどのような場面に適用できそうかと言うと、交通事故の損害賠償請求、医療事故の損害賠償請求、薬害事件の損害賠償請求、、、、と、かなり様々な紛争で、民法709条を根拠に損害賠償請求をしていくことができます。でも、個々の紛争で、何を言えば民法709条にいう「故意又は過失」「他人の権利又は法律上保護されるべき利益」「侵害した」「これによって生じた損害」が「ある」と言えることになるのか、はすぐに答えられません。実際に起こったことと抽象的な法律の文言の間にはとても隔たりがあって、この隙間を埋める作業が「法解釈」だと思っています
この「法解釈」は、好き勝手やっていいわけではありません。一定のお作法があります。このお作法をどこで学ぶのかと言えば、法学部で学ぶことになるわけです。どんなお作法か、と言われるとなかなか説明が難しいので、先ほど挙げた本から、以下のような説明を紹介しておきたいと思います。ちょっと長いです。

「法令というものは、生きた社会において生きた人々の守るべき法規範なのだから、その社会における生きた現実に適合しなければ何もならないのであって、そういう社会的あるいはさらに経済的・政治的・文化的背景というものをよく考えて、その社会における正義と公平の観念にマッチした、最も妥当な結果を得るように、いろいろな法令解釈上の方法や技術を使って結論を導き出すというのが、法令解釈に当たっての正しい根本的な心構えでなければならないのである。
 このことは、決して、法令解釈がご都合次第で、あめんぼうのように伸縮自在のものだということではない。そこには、やはり、一定の守るべき原理、原則、基準があり、結果さえよければ、論理はどうでもよい、中途の考え方は飛ばしてもいいというものではない。法令解釈というものは根本的には論理、しかも、演繹的論理の問題であって、結果がいかによくても、途中の論理構成がうまくできていなければ、決して及第とはいえない。論理構成のスキのなさと結論の妥当性とが相俟って、はじめてよい法令解釈ができるのである。」
「法令解釈の常識」24ー25頁

「それ以外」ってなんやねん

本当はこの記事でここまで書きたかったのですが、今日は力尽きました。また次回に。To be continued……….。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?