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3.11と私と競馬と何かと諸々と

ウマ娘公式Xより勝手に拝借←
今日は3/11、東日本大震災の起きた日ですね。
Xもとい旧Twitterでは数年前にも何かでポロっと当時のことをつぶやいた記憶があるのですが、折角なので2021年に強行した遠征の記録と共になんかちょっと書き残せたらなと思います。


2011_03_11

当時は高校2年生でした。
親からは「大学は何処へ行くんだ」とか「親戚の○○はA大、××はB大だ」「△△以下なんて所は認めない」だとか常日頃から詰められまくるわ部活はただただしんどいわだなんだで疲弊しきってやさぐれてふて寝していたのを覚えています。
そんな中で起きた地震、普段だったら「大きな揺れ方をしたなぁ」くらいに済ませていたところが異様に長く続く揺れ。
大慌てで自室を飛び出しテレビを見たら既に悲惨な光景になっていたのは未だに忘れられません。勿論その後の津波も。

なーんにも気力が無い中であんなことが起きて自分より優れた多数が助かるなら自分が死んだ方が圧倒的に有用だろとか思ったり。(今は流石にそんな気は無いけどね。多少は誰かの力になれるほどの人間になれてはいないけど。)
まぁなんだ、そんな具合でやけっぱちみたいになってた時期でございました。

当時の自分を高3だと勘違いしている一般男性。
因みに浪人したのはマジです。ホント。

3.11と競馬と

で、この年の競馬はというともう皆さんご存知の通り。
日本馬による史上初のドバイWC制覇&ワンツーフィニッシュにオルフェーヴルの3冠達成。

ヴィクトワールピサ&トランセンドのドバイWCワンツーフィニッシュ

まぁ多く語る必要は無いですよね。
強いて言及するとしたらこの度育成ウマ娘として登場するトランセンド。
鞍上の藤田伸二も負けたけどどこか清々しく映ったのが印象的でした。それが今はどうしてこうなった( )
因みに藤田元騎手は閉所恐怖症よるパニック障害の持ち主、よく遠征して見事な騎乗をしたと改めて思う次第。

海外へ行くとき飛行機に乗ると「ガタン」とドアが閉まる音がやばい。あの音を聞くと「もう10時間以上も外へは出られない」という不安から心臓がバクバクしてくる。耳栓したりDVDプレーヤーを見ていたが、ある日息が苦しくなってどうにもならず客室乗務員に事情を説明し、滑走路からスポットへ引き返したこともある。

日刊ゲンダイヘルスケアダービージョッキー藤田伸二さんはなぜ、睡眠導入剤に頼らなくてはいけなくなったのか 

盛岡から府中へ 第24回マイルCS南部杯

そんなトランセンドの思い出からもう1つ、マイルCS南部杯(JpnⅠ)を。

震災による府中での代替開催、そこをドバイからの帰国緒戦で制してみせたのですが肝心なのはレース以上にファンファーレ。
府中に普段のGⅠファンファーレではなく南部杯のファンファーレが鳴り響いたのには流石に来るものがありました。
オフィシャルのファンファーレ映像が無いのが残念。
え?じゃあお前どこから映像持ってきた?
それは言うんじゃなうわなにをすくぁせdrftgyふじこlp

第7代目3冠馬オルフェーヴル''君臨''

誕生というより君臨の方が正しいでしょ絶対w
一部では皐月賞が中山競馬場での開催じゃないから価値が無いだとか言われてますけどそれってシンザンを貶めることになるがよろしいか?よろしい、ならばry

入線後放馬したところもバッチリ納まっているカンテレ版も貼っておきましょうか。
池添コールも良かったけどオルフェーヴルに併せて皆揃ってのウイニングランも良かったなぁ…
あれこそ何で残って無いんですかね…
それにしても阪神大賞典の大ハプニングがあったり5歳時には鼻出血で宝塚記念を回避、凱旋門賞リベンジのプラン白紙という苦難がありつつもサラブレッドから与えた燈火は非常に大きなものだったと改めて思います。
あとオルフェーヴルがいたから初めての有馬記念現地キメようと思ったし、オルフェーヴルが居たおかげでウインバリアシオンが好きになったし、ウインバリアシオンが居たおかげでオルフェーヴルが改めて好きになりました。
まぁ他にいっぱい好きな馬はいるんですけどねーワーハッハッハ。

脱線話 私と競馬と

ここで私の競馬歴の話をさせてください、何で高2の段階で競馬をそれなりに追ってたんやって話なので。

見始めたのは多分小学校の頃にテレビで見たのがスタートですが、割とちゃんと見始めたのはディープインパクトでした。
凱旋門賞の岡部さんのフォルスストレートでの「まだ我慢!まだ我慢!」は鮮明に覚えています。

その後は観たり観なかったりしましたが何故か2011年はドバイWCと牡馬3冠はリアタイじゃないけど追ってました。
当時高校生だったといえ我ながらなんだこれ…

そんな小生も大学生になってからは割とガッツリ競馬に足を突っ込み2013年アイビスSDで馬券デビュー。
色んな人になんでそこ!?と言われますが当時府中の近くの寮に住んでて同じ寮生に案内されたタイミングがそこだったんです…
しかも買い方はハクサンムーンとリトルゲルダのワイド1点。わけがわからないよ。
ダービーはテレビで観ていただけにもっと早くデビューして現地で観たかったンゴねぇ…
因みに大学の同期2人を競馬場に案内しました。
片方はワンアンドオンリーの当時皇太子殿下御来場の天覧競馬だったダービー、もう片方はサブちゃん熱唱のキタサンブラックのジャパンカップ。
色々出来杉ワロチッチ。

そこから思ってもいない馬が激走する中で血統に興味を持ち、試行錯誤の上で今に至ります。

私の競馬歴一人語り、終わり。

私と3.11のその後の記録と

さて、その後ひょんなことから2021年に下道東日本往復踏破の旅をしたのでその際に立ち寄った陸前高田市の写真をここに残しておきたいと思います。

奇跡の一本松
道の駅高田松原
別の角度から
東日本大震災津波伝承館より眺める太平洋と高田松原海水浴場
陸前高田ユースホステル跡
7年経った後も傷跡を鮮明に残した団地跡
津波が実際に到達したことを示す標識
至る所にあります

「なんか時間あるし車中泊だったらコロナのリスクヘッジもできるやろ、せや見たい見たいと思っていた奇跡の一本松を見に行こう!でもって関東7県も踏破して東日本を往復してやれ!」ってホントにノリと勢いで始めた遠征ですが、軽率にやるもんじゃなかったと現地に着いて即思いました。
なんというか、周りの空気が震えているんです。

山の方向へ走り進めると閑静な住宅街が広がるのですが、津波伝承館周辺は本当に「時間が止まった」ままという感じです。
あの空気加減は様々な人に感じて欲しい反面、覚悟を持たない人は生半可な気持ちで行かないで欲しいという気持ちもどこかあります。
本当は皆が皆行って感じるべきなんでしょうけどね。

新年早々起きた能登半島地震も未だ復旧復興が思う様に進まず、福島原発の廃炉作業も上手くいかない、なんなら南海トラフ巨大地震のリスクの懸念が大いに残る昨今。
今我々が出来ることは今後に備えることしかないですけど、その備えがきっと今後の自分達を救うと思うので時にはこの日この時を思い出すと良いのかなと思う次第でございました。
乱雑ですが、こんな感じで締めさせてください。俺にはPOGプレシーズン記事が残ってるんだ…
それでは。


オマケ 2021年の旅の記録

東京駅丸の内駅舎に設置されたオリンピックカウントダウンタイマー
我々の''聖地''国際展示場と旧マイカー
ナンバー隠せてないけどもう乗ってない車だからいいモンニ!
スカイツリー
どれだけ足掻いてもiPhoneSE2には収まりきらなかったです
神田明神前にて
間違いなくあの時期だから撮れた写真
国立競技場
近くに設置された五輪のモニュメントには夜中にも関わらず人だかりができてました
反対の声が凄かったですけどやっぱみんな待ち望んでたんですよ
国立競技場を別の場所から
フェンスで近づけなかったのが残念
あの時限りの看板群
ビックサイト周辺サイネージやゆりかもめの橋脚にもTOKYO2020
自分の車で行ってみたかった大黒ふ頭PA
隣に載せた連れがPA出口の事故注意の設置理由にゲラゲラ笑ってました
イキリダッシュしてる奴ら聞こえてるか???
今は無き大江戸温泉物語
いい湯でした!もう味わえないのが残念

-完-

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