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#16【1日1冊紹介】早逝の才能に瞠目、古書をめぐる謎と心を模索する青春小説。 -第14日目-

『愛についてのデッサン 佐古啓介の旅』
著:野呂邦暢(みすず書房 大人の本棚)

※みすず書房版での復刊は2006年。この2021年6月に、ちくま文庫より『愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集』として短編5篇を増補のうえ文庫版が刊行されました。

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《座長の1ヶ月チャレンジ 暫定ルール》
・6月の1ヶ月間、1日1冊の本を紹介する記事を毎日投稿する。
・翌日、Twitterにて通知する(深夜の投稿になると予想されるため)。
・ジャンル、新旧、著者、長短編など、できるだけ偏らないようにする。
・シリーズものは「1冊」として扱う(or 1タイトルのみチョイス)。
・数十巻単位の長期連載コミック作品は原則、対象外とする。
(※現在入手困難なタイトルを紹介させていただく場合もあります)


* * *

 作品の「良し悪し」と、それを書いた作家自身の「人となり」を同一視すべきなのか? という問題は、時に悩ましい葛藤として立ちはだかることがあります。
 それは例えば、娯楽作品としては面白い(と評価されている)ものを継続的に書いている(し売れている)が、その作家自身がSNS等で発信している言葉がモラル的にとても褒められたり賛同できるようなものではなかったり、とか。あるいは小説でなくとも、何らかの違法行為によって逮捕されてしまった俳優が出演している映画は、それだけで映画としての価値を貶められてしまうのか、であるとか。
 もしくは政治的発言をするようになったアーティストに対して、「そんな人だとは思わなかった」とわざわざDMやリプライを送りつけて、ファンをやめると宣言されたといった話もよく耳にしますが、さてその振る舞いは、それまでその人を好きだった自分や過去の思い出と、そんなにきっぱりと折り合いをつけられるものだろうかと思ったりもして……(これは最近だと、宇佐見りん『推し、燃ゆ』における「推し」という新しいコミュニケーションのかたちと社会との距離感の乖離、という主題で向き合われていることと通じるものでもあるように感じます)。

 一方で、まさにその「人となり」こそが好きになった要因なので、実はあまりその人の創作や作品には関心が薄く、ほとんど見たり読んだりしたことがない、というケースもあったりします。
 これまた例えばエッセイも多く書いているような作家であれば、そちらは読んでいるけれども小説はほぼ読んでいない、とか。また俳優やアーティストに対して、その素の喋りや見方・考え方が好きなので、ラジオやバラエティは視聴しているが、その出演作品や楽曲は実はあまり聞いたことがない、というようなパターンも。
 そしてこれらは、さらにひっくり返すと、いかに優れた作品でも「どういう人なのかがよく分からない/ほとんど知られていない」創り手の作品を手に取ってもらう、というフックを仕掛けることの難しさ――にも通じるのだと思います。

 そこへ行くと、野呂邦暢(のろ・くにのぶ)という作家についてよく知っているという人もまた、おそらくずいぶんと限られてしまうでしょう。僕自身も、『桜庭一樹読書日記 少年になり、本を買うのだ。』で紹介されているのを読んで気になっていなければ、ただ通り過ぎていた可能性のほうが高いです(※画像は当該ページ)。

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 長崎に生まれ、戦時中に諫早へ疎開し、そこで被爆。高校卒業後、1年間の自衛隊入隊を経て教師をしながら小説家を志し、1965年にデビュー。作品をいくつも発し、1974年には芥川賞を受賞。しかしその6年後、42歳の若さで早逝した作家。そんな野呂邦暢ですが、昨年に中公文庫から『野呂邦暢ミステリ集成』が刊行されるなど、いまにわかに(そして何度目かの)再注目を集めている模様。そこで今回は、その晩年の一作で、今月には筑摩書房から初の文庫化もされた、『愛についてのデッサン 佐古啓介の旅』(ここではみすず書房版をもとに)を紹介できればと思います。
 心不全で急逝した父親が経営していた、中央線沿線に位置する小さな古本屋「佐古書店」。編集者として働きつつも満たされない気持ちを抱えていた息子・佐古啓介は、編集職を辞して、しばらく閉めていたその店を継ぐことを決める。そうして、古書店の若き主人となった啓介のもとには、古書をめぐって高校時代からの友人、謎の来店客、亡くなった父親の過去などに関わるさまざまな相談や厄介事が舞い込むようになる。長崎の古書交換会に行き、若くして亡くなったある詩人の肉筆稿を入手してきてほしい。ただし、自分が依頼主であることは明かさないようにという、親友が連れてきた女性からの不可解な依頼と、その原稿を追う数奇な顛末(「燃える薔薇」)。失恋の古傷を癒やしてくれたことがきっかけで、啓介がかつて恋をし、今も一方的に慕う親友の姉。もう会わないようにしようと言われ、別れの際に啓介が思慕を込める意味で手渡した一冊の詩集『愛についてのデッサン』。その、まさに渡したはずの本と同じものをとある市で見つけた啓介は、動揺しつつ競り落としたあとも密かに手放した彼女の真意を推し量れず、妹の友子や行きつけのスナックのウェイトレスにその気持ちを吐露するのだが……(「愛についてのデッサン」)。ここ数日、毎日店に足を運んでは同じ棚をためつすがめつしている老人がいる。ある時ふと目が会った瞬間、老人はまるで盗みの現場を目撃されたかのような羞恥の表情を見せ、去っていってしまった。いったい、その老人の目的は何なのか(「若い砂漠」)。

――(兄さんには女の気持なんかわかりっこないのよ)

 鮎川哲也のファンだったというだけあって、いずれも古書(主に詩集)にまつわる“謎解き“の体裁やミステリ的な味わいを含むエピソードにもなっています。けれどもあくまで中心にあるのは、起きたことの因果は理屈をあてはめて紐解くことができても、果たして人の心まではほんとうの意味ではわかり得ない――旅の先々でそんな茫洋とした現実の出来事に直面するごとに、そして妹や友人とのやりとりを通して、佐古啓介というひとりの青年が、古書店主人としても恋愛や人との関わりにおいても、模索し、人として少しずつ成長していく、やはりその過程なのだと思います。
 抑制された描写や会話、その行間から立ちのぼってくる豊かな詩情と感情、多層的な人物像、そして一話ごとに深まっていく余韻……。野呂邦暢という早逝の作家の才能に瞠目させられる、とても芳醇な青春小説です。

(追記)
 なお、このみすず書房「大人の本棚」レーベル版では、野呂ファンを標榜してやまない作家・佐藤正午(まさかの『鳩の撃退法』実写映画化!)による解説が寄せられていて、これが何とも佐藤氏作の野呂邦暢トリビュート短編小説のようでたいへん惹き込まれる内容。機会があればこちらもご一読いただきたいのですが、何よりまず初の文庫化を寿ぎたいと思います。めでたい!


※ブクログにも短評を投稿しています。



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