景観計画でミスると、取り返しがつかない。

いま東北のとある村で、灯台とその周りの園地、国民宿舎の再開発に伴う景観計画の委員をやらせてもらってます。

最近環境省が「引き算の景観づくり」という考え方を推奨しており、国立公園等に指定されて(=木の伐採などが出来なくなって)相当年経っているところは、当時の景観が森で覆われたりして崩れている。なので伐採などを含めた景観計画を進めているんですね。

この考え方は、とても素晴らしいと思います。仕事柄毎年数多くの国立公園、国定公園、指定公園に訪れますが、伸び放題に伸びた木々が景観を損ねて地域のポテンシャルを損ねていることを感じています。

その会議、村のいわゆるスーパー市役所マンが集めたスペシャルチームでやってて、大学の先生、旅行会社、大学生、環境省、コンテンツを司る協会系の方、そしてもちろん地元代表の皆様。景観計画のエリアは、決して広くない園地なのですが、そこでの議論はまぁ熱い。

そもそも園地の再開発の議論の5倍くらいの時間を話す(笑)。

・再開発して、そんな魅力を創造するか?
・市街地エリアとの導線や人と経済の循環
・DMMもしくはそれに類するモノの設立の是非
・観光振興の作戦と、地域の経済圏との兼ね合い
・地域にあるハードとの役割分担
・地域の人口動態と産業構造、そして熱量

などなど。

ただ、景観計画をコンサルさんのプランに乗るのではなく、複合的に、長いスパンで、血の通ったビジョンをつくってます。

失礼な話、この村は30年後にはどこかに吸収されてるかもしれない。でもその寿命を延ばし、地域の経営力を高め、その存在感と歴史を100年先まで残すことは出来る。自治体の計画に関わるってのは、そういうことだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?