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「すずめの戸締まり」感想と考察 ※ネタバレあり

感想 

 純粋な感想としては「すごい作品をやってくれたな」でした。これは震災を真っ向から描いたからというのもありますが、私が特に戦慄したのは物語の過程と結論です。詳しくは後述しますが、かなりシリアスな過程を踏ませた上で、少なくとも私に取っては残酷な結論に行き着くこの流れが本当に鳥肌ものでした。
 また、「君の名は」から続く”あえて背景の説明は簡略化する”という方法を相変わらず上手く取り入れてきますね。純粋に楽しむだけなら気にならない要素であり、私のような考察が好きな人達が楽しめるような作りをしています。例えば、閉じ師という職業をしていた父がなぜ片腕を失っているのか、左大臣に対して何故「お久しゅうございます」と言ったのかなどです。このようなものを深く語らない事は人によっては手抜きと感じるかもしれませんが、映画という短い尺の中でくどくど説明を聞かされるのが苦手な私としてはかなり好きな手法です。   
 あと、すごく個人的に良かったのが二匹のモンシロチョウの演出です。この二匹は恐らく"過去(3.11の頃)のすずめ"と"今のすずめ"を表しているのだと思います。一緒にいた二匹が最後別れる演習を入れたのは"過去と未来は確かに繋がっている"という当たり前の事ではありますが、この作品で言いたかったことを絵として見せてきたのかなと思いましたね。

他作品から見る「すずめの戸締まり」

 これは僕自身が「天気の子」から考えている事ですが、「君の名は」以降の作品は「君の名は」以前の作品を作り直したものに思えます。まあ、同じ監督が作品を作り続けてるわけだから似てくるのは当たり前と言えば当たり前ですが(押井守などが良い例かと)笑。
 例えば、よく言われるのが「秒速五センチメートル」に対するアンサーが「君の名は」であると言う話です。 同様に私は「言の葉の庭」に対するアンサーが「天気の子」にあたるのだと思います。 そうすると、今回の「すずめの戸締まり」はどこにあたるのか。それは「星を追う子ども」だと思います。「星を追う子ども」は"別れを告げる物語"です。それに対し、「すずめの戸締まり」も"母にお別れを告げる物語"でもあると思います。実際に物語の終盤、東北に帰省した主人公ですが、訪れるのは"12年ぶり"とのこと。これは今まで彼女が無意識にしても避けていた事を意味しており、そのことは椅子に対する扱いからもわかります。そんな彼女が母の死を受け入れ、未来を向く物語という側面をこの作品は持っているのです。
 また、このような内容は少し前に公開された「龍とそばかすの姫」でも語られていますが、あの作品も"母の死を受け入れる物語"です。ですが、そのような物語でありながらほとんど深掘りされる事なく終わったのが「龍とそばかすの姫」でした。(少なくとも私にはそのように見えてしまいました。)そのような作品に対して、しっかりと深掘りし、”乗り越えるというのはそういう事じゃないだろ!”とアンサーを返したのが「すずめの戸締まり」となっているように思えます。新海さんはもしかしたら「龍とそばかすの姫」に対する批判的な意味も込めて今作を、作ったのかも知れませんし、今作を見た細田守は衝撃を受けている事でしょう笑。

「君の名は」から続くテーマの戦い

この話はパンフレットにも書かれていましたが、「すずめの戸締まり」は「君の名は」と「天気の子」を踏まえた作品となっています。一種の弁証法的な作りですね。
「君の名は」では"天災は拒むもの(防ぐもの)"
「天気の子」では"天災は受け入れるもの"
「すずめの戸締まり」では"天災は乗り越えるもの"
この流れは完全に、テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼと同じですもん笑。
 このように前作を否定するテーマを必ず取っていて本当に素晴らしいなと思いました。こういう作品ごとにテーマを分けて作れるのがオリジナルアニメの最大の魅力だと思うのですが、近年はオリジナルアニメ監督がほとんどいないので今まで以上に価値のある作品になったのかなと強く最近は思いますね。

新海誠が伝えようとしたこと

 大きく分けて二つあるのかなと思っていて、一つ目は"自分を救えるのは結局自分だけ"という事と "未来は決して暗いものなんかではない"という事です。
 これは両方ともラストの常世で子供の頃のすずめと再会したところから読み取れます。この作品の流れを大きな視点で見ると、 ”廃墟を見せる⇄そこにいた人達がいた事を示す ”を繰り返し、廃れていく事の寂しさと無慈悲さを散々描いた上で、それを乗り越える(ある種の葬式的な意味も含みます)には助け合う事が必要だけども、自分をそこから救えるのは自分だけだよというハッキリとした結論を提示しました。当たり前の事実のように見えて、これはかなり重たい結論です。特にボーイミーツガール物の作品としてはやはり異色であり、それでこそ新海誠作品だ!とも言えます。
 しかし、その残酷な過程と残酷な結論を突きつけれられて我々はどうすればいいのか。この結論を新海誠は救いがあると結論づけているようだが、俺には辛い結論に思えてならない。そこがどうしても俺は受け入れられない。素晴らしい作品だからこそ、それを認めたくないというある種の嫉妬なのかなって。

個人的に冷めたところ 

 ここまで誉めてきたんですけど、こっからは批判の部分を書こうかなと思います。「すずめの戸締まり」が好きな人は読まないことをおすすめします。

 率直に思ったのはアニメーションが下手でしたね。ほとんどの描写で、背景に対して人物が浮いているように見えてしまうほど乱雑な編集でしたね。正直、それが気になって気になってしょうがなかったです。まあ、そもそも新海誠作品は背景が素晴らしいので、しょうがないといえばしょうがないのですが、流石にあそこまで酷いのを劇場アニメに持ってくるなよと心底思いました。
 あとは主人公走り過ぎですよね。あれは流石にダメでしょう...。

だから俺は新海誠が嫌いなんだ

 ここまでこんなに好評してるのに「なんだこいつ」と思われるかもしれませんが、これは紛れもなく私の本音です。これはほんとに新海誠の作品全てに思っています。新海誠の作品の最大の特徴は”美しい世界を描ける”ことであることは多分、万人に同意していただける事だと思います。しかし、その美しい世界で展開される物語はどうでしょうか?私には現実的な物語がほとんどの作品で展開されているように思います。
 私達は新海誠が描く”現実よりも美しい世界”に魅了されます。これはある種の異世界転成みたいなものです。しかし、その美しい世界に引き込んでおきながら物語は現実的で、辛いものです。このギャップが私はたまらなく嫌いであり、同時に新海さんの素晴らしい所だと思います。
 このような作品を描けるのは世界でも新海誠ただ一人でしょう。私の知る限りでは今の日本でオリジナルアニメの巨匠はもう新海誠しかいません。だからこそ応援もしていますし、ほんとに「ほしのこえ」から大好きな方ですが、同時に私にとって新海誠は嫌いな作品を作る人なのです。

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