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遺跡の街ロッブリーに住むカニクイザルの歴史

みなさんこんにちは。いつかカメラを背負ってタイ各地のサルを撮影する旅に出ることを楽しみにしていないとやってられない感じの研究員の豊田です。

今回も国際マカク週間ということで、番外編企画です。
今回は堅苦しい提言とかがある内容ではなく、カニクイザルの紹介です。

前回のココナッツモンキーと並んで、タイでよく話題になるサルがこのカニクイザルです。超肥満体の子が保護される話や、町中でサルが大暴れする話は大抵がこのサルたちです。何かと槍玉に挙げられるカニクイザルについて、簡単にご紹介します。


タイ王国のカニクイザル

タイ国内を旅行しているとよくサルを見かけると思います。タイには15種類前後の霊長類が生息しているとされていますが、タイ北部を除いて、最も頻繁に見かけるサルは、カニクイザルではないかと思われます。カニクイザルは、モヒカンのような髪型と、体長に比して非常に長い尾をもつサルで、サルが住み着いている寺(モンキーテンプル)で見られるサルは大半がこのカニクイザルです。

あちこちで見かけるカニクイザルなのですが、実は細かく見ると生物学的に10種類の亜種に分けられています。タイではCommon long-tailed macaque (M. f. fascicularis)とBurmese long-tailed macaque (M. f. aurea)という2亜種がいます。Common long-tailed macaqueを普通のカニクイザルとすると、Burmese long-tailed macaqueは普通のカニクイザルと比べて顔が黒く、頬の毛の流れも異なります。学名からアウリアと呼ばれます。タイでは南部のごく一部、ラノーン県からパンガー県にかけての海岸沿い周辺でしか見られません。Common long-tailed macaqueとBurmese long-tailed macaqueの雑種がプラチャップキリカーン県とプーケット県の一部で確認されています。分布域の詳細は以下の論文のFig.1で見ることができます。

Bunlungsup, S., Imai, H., Hamada, Y., Gumert, M. D., San, A. M., & Malaivijitnond, S. (2015). Morphological characteristics and genetic diversity of Burmese long-tailed Macaques (Macaca fascicularis aurea). American Journal of Primatology, 78(4), 441–455.  

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上の写真はCommon long-tailed macaque (M. f. fascicularis)の方です。

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こちらがBurmese long-tailed macaque (M. f. aurea)です。

あちこちにたくさんいるのでもう見飽きている人も多いのではないかと思いますが、実はこのカニクイザルたち、以下の2つの地域集団は特殊な行動をすることで非常に有名な研究対象です。

1. ロッブリー県のカニクイザル

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彼らは「歯磨きザル」として有名です。

2. パンガー県・プラチュアップキリカーン県の島に住むカニクイザル

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彼らは「石で牡蠣の殻を割って食べるサル」として有名です。


本稿ではロッブリーのカニクイザルの歴史と歯磨き行動の研究を紹介します。


ロッブリー県のカニクイザルについて

古くは1966年に京都大学の研究者、川村俊蔵がこの地でサルを確認しています(未公表データ、記載は渡邊 2016)。翌年1967年にこの地を訪れたFoodenは頭数を100−200頭と報告しています。また、聞き取りによって「50~60年前のまだロッブリーが森に囲まれていた時代からサルが住み着いた」との寺院関係者の情報を得ています。

Fooden, J. (1971) Report on primates collected in western Thailand January-April, 1967. Fieldiana Zoology, 59(1), 1‒62.

この地域のサルは、どうも昔から肥満傾向が顕著であったと思われます。先述の川村は、1966年の観察当時から肥満傾向であったとの記載を残していますし、1989年に調査を行ったAggimarangseeはカウントした104頭の大部分は肥満だったとしています。

Aggimarangsee, N. (1992) Survey for semi-tame colonies of macaques in Thailand. Natural History Bulletin of the Siam Society, 40, 103-166.

当時からサルたちは人から餌付けされていたのでしょうか?東南アジアを広く調査した渡邊邦夫は、ロッブリーの地域集団についてまとめた以下の論文のなかで、1990年代ごろから人とサルの関係が変化し、頭数増加はこの頃から始まったとしています。

Kunio Watanabe (2016) Temple Monkeys in Southeast Asia - Long-tailed macaques anecdotally provisioned in Thailand, Indonesia, and the vicinity, Human and Nature 27:53-62


個体数の推移を見ると、先述の通り1960−1980年代に調査を実施した研究者は多くて200頭前後をカウントしていますが、1998年におこなわれた頭数調査では700頭を確認したとされています。

渡邊弘之(1998)アジア動物誌.めこん,東京,209p.

渡邊邦夫の2004年の調査では5群、700~900頭を確認、2009年の調査では7群1000頭越えを確認しています。この後も個体数は順調に増加しているようです。

2018年8月、私はNHKの『ダーウィンが来た!』のロケのため、ロッブリーを訪れる機会がありました。数日間の滞在でしたが、その時実施した簡易カウントでは遺跡中心群300、遺跡裏群280、線路群300、ゲート前群180、寺群180頭、大通り群110、駅前群30、ビル群内にあと1~2群、200頭前後?で1500頭前後いるのでは、という推計でした。実際に渡邉先生ともお話をし、増加率を考えても妥当なカウント結果だろうというと結論づけました。

肥満ザルも健在でした。とはいえ、現役のデブという感じはなく、かつて相当太っていた痕跡が垂れ下がった皮でよく分かる、という感じでした。でも写真のとおり、デブはデブでした。

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道に撒かれた麩菓子を食べる肥満オス

あまりにも増えすぎているため、タイの野生動物保護局によって頭数調整がおこなわれているようです。主に避妊措置が中心のようですが、実際にどのような措置がおこなわれているのかは私ではわかりませんでした。日本では個体数調整はホルモン剤投与などによる一時的な避妊措置が一般的です。これは、サルたちの「コドモを産む権利」を尊重しているためです。去勢や卵管結紮など、コドモを産む権利を一生奪うような措置は動物福祉の観点から避けられています。


研究対象としての歯磨きザル

この地のカニクイザルが、人の髪の毛をデンタルフロスのように使って歯磨きらしき仕草をおこなうという行動は、1996年に野中健一の観察によって初めて発見されました。野中はこれを「歯磨きザル」と名付け、2000年に報告しました。

野中健一 2000 ロッブリーの歯磨きザル.エコソフィア,6.

2004年には渡邊らによって歯磨き行動の詳細が調べられ、その結果が短報として報告されています。

Watanabe, K., Urasopon, N., & Malaivijitnond, S. (2007). Long-tailed macaques use human hair as dental floss. American Journal of Primatology, 69(8), 940–944. doi:10.1002/ajp.20403

彼らはカツラをサルに提示し、その反応を記録しました。結果、カツラを提示されたサルの約半数は毛を引き抜き歯磨きを行ったということで、遺跡周辺の群れのサルたちの多くはこの行動を獲得しているのではないかと結論付けています。しかし、少し遺跡から離れた群れではこうした行動は低頻度であることから、観光客が多く訪れる遺跡周辺という特殊な環境がこの行動の定着に寄与しているのでは?と考察しています。

また、ココナッツの殻を提示すると、殻の繊維を毟り取って同様に歯磨き行動を行うこともこの研究によって発見されています。そして、同様に自然に存在する植物の繊維を用いた歯磨き様行動の事例は低頻度ながらインドネシア中部Wanggonのカニクイザルや、ベトナムのCanGioマングローブ保護区のカニクイザルでも報告されていることから、野外でも実はよく観察するとこうした行動が観察されるのではないか、としています。

また、この行動の伝播を調べた正高らの研究では、どうも母親が子どもに歯磨き行動を実演しているらしいことも明らかになりました。

Masataka N, Koda H, Urasopon N, Watanabe K (2009) Free-Ranging Macaque Mothers Exaggerate Tool-Using Behavior when Observed by Offspring. PLoS ONE 4(3): e4768. doi:10.1371/journal.pone.0004768

1歳の子どもを持つ母親7頭を対象に、子どもがそばにいる時といない時で、歯磨き行動に変化があるか調べました。結果、子どもがそばにいる場合、母親は歯磨き行動中により間をとってゆっくり時間をかけておこなうようになることがわかりました。母親は、子どもに”見せて”行動を学習させているのではないかと言われています。こうした”誰かの行動を見て”学ぶ社会的学習は、新規行動の伝播において重要な役割を担っています。


歯磨き行動の面白さ

「歯磨き」行動や「牡蠣割り」行動は、行動学的に非常に興味深い行動です。なぜなら彼らは、ヒトの髪の毛や石といった”道具”を使っているからです。

人間を除くと、道具を使用すると言われる霊長類は、類人猿の一部(チンパンジーのアリ釣り行動、オランウータンの硬い殻の中にある果実を木の枝でくり抜く行動など)と、新世界ザルのフサオマキザル(石でナッツを叩き割る行動)、そしてカニクイザルだけではないかと言われています。

道具を使用することができる動物はそう多くはありません。自分と道具と対象物の関係性を把握し、道具として使うものの性質や、その道具の運用法による物理現象を理解していないと、この行動はできないからです。

マカク属サルのなかでなぜカニクイザルだけにこうした多様な道具使用行動が見られるのかは、まだよくわかっていません(仮説は諸説あり)。

比較的難しいタスクを訓練するココナッツモンキーの場合、多くはミナミブタオザルが用いられますが、それは体格が良いという要素に加え、比較的賢く訓練の成績が良いからだと言われています。私が訪れたモンキースクールのマスターも、カニクイザルやアカゲザルでも訓練できないことはないが、ミナミブタオザルに比べると圧倒的に時間がかかるとのことでした。

誰にでも得意・不得意はあるということでしょうか。


というわけで、機会があれば是非ロッブリー県のカニクイザルを観察してみてください。バンコクから車で2時間ほどです。鉄道でも行くことができます。

また何かサル関連で事件やニュースがあったら、こういう企画もやってみようと思います。

今週末はタイサル!第6話の配信です。

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