見出し画像

12年勤めたマッグガーデンを退職しました。

退職エントリって皆知ってる企業を辞めたひとだから興味が湧くんですよね(時候の挨拶)。

平素より大変お世話になっております。
株式会社マッグガーデンで働いておりましたシンプクです。
会社名より『魔法使いの嫁』担当の犬の奴(アイコン)といった方が幾ばくかはうっすらお解りになる方もおられるのではないでしょうか。

あ、まほよめといえば『魔法使いの嫁 season2』、10月から2クール目放送の告知とキービジュアルもでましたが皆様楽しんで頂けていますでしょうか。楽しんで頂けていることを祈りつつ。スタッフの皆さん、頑張って制作頂いておりますのでどうか後半も応援声援の程何卒宜しくおねがいします。

また、漫画側は新篇について既に昨年から打ち合わせが進んでおります。学院篇で人間や魔術師にフォーカスした分、次はひとでないものの側にもフォーカスして……という所であーでもないこーでもないとやっているところでした。お待たせする事になって誠に恐縮ではありますが、次の10年を目指しており、近々で再開等のお知らせが出来るよう著者は頑張っております。なにとぞ、開始までお忘れなきよう賑々しくお待ち頂けますと幸いです。

少し話が逸れましたがタイトル回収です。
私事で恐縮ですが2023年6月末日を以て、株式会社マッグガーデンを退社いたしました。退職したので、所謂、退職エントリを描いてみたく筆を取った次第です。
今回、こちら書く理由ですが以下の3点です。

・退職エントリなる、ネットポエムを人生に1回は描いてみたい
・辞める事を伝えられない方もいたので、一時的にネットに情報置いておきたい
・意図しない連絡漏れをカバーしたい

ただ割合としては、ネットポエムに憧れがあるからが理由の大半です。
まほよめの帯やキャッチでずっとポエム書いてるので、多分好きなんでしょう。
何より退職にあたり、一人ひとりに本来伝えるべきであった感謝の気持ちとご迷惑をかけた事を謝罪することができればという気持ちです。その節は有難うございました。またご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

という訳で以下目次です。各自、気になる所だけご確認ください。


入社前

学歴も経験もパッとしない、人生をナメくさった大学生でした。
音楽やったり同人誌作ったりとかそんな事しかしてなかったです。
朝はまともに起きる事も出来ず、4年で卒業できたのは大学と教員の皆様のお陰です。有難うございます。

まぁ上記のような人間だったので100社以上受けて1社も内定取れないくらいには社会に必要とされていませんでした。笑っちゃいますね。無い内定なんて言葉もありましたが、当然ながら、仕事がないひとは無職という名前で社会に放流されます。

当初はヘラヘラしていたものの、目減りする通帳の数字が命のカウントダウンに見えてきて流石に…と思った時に、偶然、医療系の出版社に拾って貰えました。これがキャリアのスタートですね。

良い社員じゃなかったと思うのですが、その時の先輩・上司・同僚には大変恵まれました。その当時の2年前後、今でも感謝しています。その際は大変お世話になり、ありがとうございました。お陰で社会人の擬態がギリギリできるようになり、何とか生きております。

マッグガーデン入社

調べたら2011年4月入社だったっぽいです。マッグガーデンでは入社から一貫して、ブレイド編集部所属の編集者で、トータルとしては12年勤めた事になります。

当初は単年契約だったんで『3年持つかなー。途中でクビの確率のほうがたけーだろな。』くらいに考えてましたが、想定の4倍もいる事になるなんて人生わかりませんね。

大手版元のプロパー社員以外、編集者というのはプロスポーツ選手と一緒で、結果がでなければ戦力外通告貰って当たり前の世界と僕は思っているんですが、こんなに長く現役でプレーし続られるとは……。

何の経験もない若者に機会を与えてくれた保坂会長と飯田社長には、心から感謝しています。特に飯田社長には直接採用して頂きましたし、また根本の考え方からヒットした以降の取り組み方等と今日まで本当に多くを教わりました。決断に迷ったら社長室に飛び込んで相談していたので、それがこれからは出来ないかと思うと不安です。

と書いていて採用面接時のことを思い出しました。
僕は、飯田社長達が関わったガンガン時代の作品が少年期ど真ん中世代です。
少ない小遣いでガンガンを買うものだから、全てのページや読切を目に焼き付けんばかりに見ていて。それもあって、当時の21世紀漫画大賞の歴代受賞者や読切作品等についてよく覚えていたんですよね。なので、連載にならなかった理由等も訊きたくなり、面接の時はそこを話した記憶があります。

どうやら、それで「こいつ…気持ち悪いな」と印象に残ったようで結果的に飯田社長が何故か取ってくれたらしいです。ラッキーでした。皆さんはあまり真似しないほうが良いやり方だと思います。


雑用以外で有用性がない1〜2年目時代

思い返すと入社後に教えて貰ったのは、トイレの場所と自販機の場所くらいだったことを今でも覚えています。その節はお世話になりました、稲垣さん(関係ありませんがヤングエース編集長就任、おめでとう御座います)。

というのは冗談ですが、日々の雑談・会議・相談と実地で教わる日々だったことを思い出します。合う合わないはあるかと思いますが、僕はこのスタイルが肌に合っていて、能動的に学べたのはとても良かったなと思っています。思い返すに当時の編集部の面々は現在各版元で要職についている方も多く、良い集団に混ぜて頂いていたのだな〜と思います。今思えば、周りに鍛えてもらった2年でした。

当時は作品引継ぎは一切しない、立ち上げ頑張れという方針だったので、2年ほどは1作も担当を持てず雑用以外で価値を示せず。当初様々な方にご迷惑をおかけしていたかと思います。同点に関する方々には、お詫び申し上げます。

この2年間の記憶は沢山あるのですが、特に覚えている事といえば入社翌日に残高が0になった口座を作家さんに酷く心配された事でしょうか。元気に酒を飲んで乗り切るしか当時は出来る事もなく、この会社、大丈夫かとご不安を抱かせてしまってその節は申し訳ありませんでした(入ったばっかりなので会社は関係ないですと弁明だけはさせていただいた記憶があります)。

当時はブレイド連載中だった作家さん方には度々お世話になりました。担当でないにも関わらずご自宅での酒宴に交えていただき、朝まで様々なお話を伺えたことは本当に大きな財産です。皆様の一言一言があっての今だと思います。感謝申し上げます。

ヒットと所属部署の雑誌休刊の3年目

2年間、様々な方々にお世話になったお陰で、3年目入った段階でようやくちょっと役にたつようになってきました。……が、そのタイミングで自身の所属する雑誌が休刊となり。下っ端の僕ですら、大変だった印象が残っているので中心地にいた方々は、もっと大変だったのだろうと思います。

ただ、この件は僕自身としては理想と現実のバランス、商売についてより深く考え始める切っ掛けになりました。また、苦しい時に人がどう動くのかをこの目で見ることが出来た事は、得難い経験だったなと感じています。

この当時のことを覚えておきたくて、自分の机の上には必ず最終号のブレイド本誌を常に置いています。縁起でいえばどうなんだろうとは思いつつ、自分の立脚点でもあるのでやはり目の前に置いておきたいなと思っています。

そういえば、この休刊直前くらいに『魔法使いの嫁』の連載が始まったのも思い出深い事でもありますね。まほよめの開始前までは、大体どこかで語られていて同じことの繰り返しになるので割愛しますが、当時はもう少し粘っていたらブレイドという雑誌を護持できたのではないかと思う事が多かったのは事実です。
『リィンカーネーションの花弁』が始まったのも確か同年だったので、もう1年早ければと。

ただ、その反面でいずれにせよ雑誌というメディア自体撤退戦であるということは当時から理解はしていたので、本当に複雑な思いがありました。

立ち上げた作品について

皮肉にも休刊後から、しっかり作品群を作家さん達と立ち上げる事も出来るようになりました。担当作品についてはいずれも一緒に仕事が出来て光栄でした、また会社としても大変ありがたかったです。またご縁あれば何卒宜しくお願いします。以下、列挙になりますが立ち上げた作品は以下の通りです(抜け漏れあったら申し訳ありません…ご連絡頂ければ!)。


『あかねや八雲』『めぐらば』『魔法使いの嫁』『魔術師の青』『稲妻ジャックと妖精事件』『ゴーストアンドウィッチ』『とつくにの少女』『PSYCHO-PASS 監視官狡噛慎也』『PSYCHO-PASS sinners of the system』『魔王のママになるんだよ!』『凸凹のワルツ』『妖怪の子預かります』『下ネタという概念が存在しない世界 マン○篇』『夜の兄弟』『終わりのちアサナギ暮らし。』『竜の七国とみなしごのファナ』『捜査班動く!』『ロメリア戦記』『迷宮帝国の作り方』『河畔の街のセリーヌ』『不遇スキルの支援魔道士』(順不同)

アニメとの関わり

連載作品と作家さん方には本当に多くの経験をさせていただき感謝しています。「魔法使いの嫁」「とつくにの少女」では映像がありましたので映像制作においても多くご縁いただき、学ばせていただきました。

「それは言った方が良い」「それを言うのは違う」そういうひとつひとつを教えてくれる現場の方々に会えたことは何よりの財産だなと思います。

いずれもWIT STUDIOというグループ会社があったお陰なのだとは思いますが、当時のスタジオの皆さんには、現場側に少しだけ入れて貰えたことで制作が少しだけ垣間見えるようになりました。当時はとても勉強になりました、皆様には御礼申し上げます。

この当時から関わった方々と変わらず現在も一緒に仕事出来ていたり、仕事違えど、やり取りが続いている事は嬉しいですし、一定の信頼を頂けている事は個人的には嬉しいことです。

また、アニメに関連した項で併せて謝辞を述べたいのですが、Production I.Gの石川社長には本当にお世話になりました。会社設立を応援頂いたり、本当に目を掛け守って頂きました。今回最終的に退職することを選んだことは誠に申し訳なく思っております。

石川社長には飯田社長同様に大恩ございますので、立場が変わっても何か力になる事ができれば協力させて頂きたいと考えております。

3年目以降から現在まで

忙しくできました!(笑)
個別はよく覚えてませんが毎年、著者の海外招待に金魚の糞で見て回れたことは、とても学びが多かったです。フランス、アメリカ、ポーランド、スペイン、ドイツ、イタリア、マレーシア、フィンランドかな……?(ご招待頂いておきながら抜けていたら誠に申し訳ありません)
各地で得た知見は、今後のキャリアにおいても、とても大きいものになるかと思います。現地版元の皆さん、当時は有難う御座いました。また機会があればお会いしてお話しさせてください。

編集者としては、映像を皆さんの期待に応えられるように成立させなきゃとか、2期成立を目指して自分が動かないと作品が死ぬぞとか、他にも作品を立ち上げ続けて利益を積まなきゃ将来つまんないぞとか。会社の方は事業計画から予実管理、月次決算から人事労務やらなきゃとか。そういう普通の事で一杯一杯になりつつ、自分自身が出来ないことも色んなひとにサポートして貰えて、大変幸せでした。

成功したことより失敗したことの方が圧倒的に多く、失笑されることの多い10年でしたが、3年目に望んだ10年間でした。編集者だけでいるよりも、遥かに多くのことを学べたのでとても満足しています。

なぜ退職するのか

建前的に聞こえるだろうなと思いつつ。マッグガーデンは働きやすかったですし、給与含めても特に不満はありませんでした。社内で一番、会社へ文句を言っていた自覚はあるので、嘘のように感じられるひともいるでしょうが、これは本音ベースで。現場として文句はいいますが、経営としての適切な判断があるという理解のうえで文句も言っていた訳で、そこに不満は正直なかったです。編集者自体も仕事として奥深く、まだまだ何も分からず、これからももっと多くを知ることができればと思っていました。

じゃなぜ辞めるのかといえば、営みから出版社の本質を知りたいと思ってしまったからです。知らない事が多過ぎるので、始めから最後まで全部一から経験してみたい。成立した線路に乗って学ぶのではなく野原に線路を引いてみたいと思ってしまった。それを現状のポジションで行うのは難しいだろうなと思ったのが退職の一番の理由でしょうか。

重ねてにはなりますが、マッグガーデン自体は良い会社でした(でなければ12年もいない)。本当に多くの方にお世話になりましたし、またどこかで縁があれば嬉しいなと思う程です。

新しい職場について

新しい職場ですが、7月3日より株式会社ブシロードワークスの代表取締役に就任致します。株式会社ブシロードの100%子会社として新設される会社です。

この会社で何をやっていくのか、何を成したいのかはまた語る機会があればいずれ(お会いしたことがある方は、呑みの場ででも訊いてください)。

代表取締役といっても、本当に一からのスタートだと思っています。
具体的には、マンガや小説を出版していくにあたって編集経験者の仲間探しもしなければならないなーと思っています。もし興味ある方がいれば以下アカウントにお気軽にDMください。事業の展望や条件を知らなければどうもこうも無いと思いますので、まずはカジュアルにどうぞ!

https://twitter.com/arctic_mint

会社としての展望はいずれと申しましたが、良い作品を送り出し続けるのは今後も変わりません。今年には新しいWEB配信メディアも開始予定で、予算もかなり用意しております。せっかくの予算、作家さん方におかれましてもお気軽にご利用いただきたく、もしご興味ある方がいらっしゃった時用に下記フォームを用意しております。ご確認頂けますと幸いです。

https://form.bushiroad.com/form/bushiroad_works

僕自身にご連絡頂くでも問題ありませんー。

ということでご報告でした。
今日から、また新人のつもりで全力で頑張ってまいります。
引き続きお付き合いいただく皆様もこれから出会うであろう皆様も、どうか何卒よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?