消費

「他人を散々消費しておいて、自分は消費されたくないって?利用されたくないって?随分と都合がいいねえ、はは。笑わせんなよ」


私は、誰を相手に話しているのかわからなかった。だが、そんなことはどうでもいいことのように思えた。私は何かに取り憑かれたように、いつからこうしているのか覚えていないが、ある種の呪詛を吐きつづけていた。


「大体な、人間ってのは、生まれた瞬間から消費されてんだよ。消費されない人間なんかいないんだよ。俺たちはな、俺たちの世界をいいように消費してるんだよ。そういうシステムの中に組み込まれてるんだよ。そして、その宿命からは逃れられない。俺たちは生まれてから死ぬまで、消費の奴隷なんだよ。残念だがな」


何度も繰り返しているせいか、消費という言葉がゲシュタルト崩壊しそうになる。私は尚も畳み掛ける。


「いいか、世界というのは、所詮は解釈なんだ。だから、解釈次第で、つまり、自己洗脳次第で、人間は不幸にも幸福にもなることができる。不幸になる権利がある。それが人間の本質なんだ」


一般的な幸せとは何だろう。不自由を、制限を有り難がれる人間が、システムに適応できる人間が幸せなのか。多数派の世界からあぶれた私は、この時代では、異常ということか。


そういうことなのか?


「他人を消費することは、自分を消費することに他ならない。他人と同時に、自分自身も消費しているんだよ。奴隷といえば聞こえは悪いが、信仰といえば少しは増しだろう。不自由を取り込むことは信仰対象を得ること、信仰を誓うことと同義だからね」​

───そうか。だから呪いと祈りは紙一重なのか。


私は呪われる寸前だった。正確にいえば、他人の正義に洗脳される寸前だった。私は、他人に与えられた不自由を有り難がることなどできない。ましてや、自分が他人にそうすることなど。


私は可笑しくなって笑った。私には適正がない。資格がない。この世界で生きるだけの気力がない。


「『一般的な不幸』になる権利を行使するよ」


私は苦し紛れの皮肉を呟き、みずから自分の首を強く絞めた。


#短編小説

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