月光と魔術

ちりばめられた月光を辿ると、そこにはちいさな丸太小屋がありました。

あらゆる音は夜のベールに吸収されてしまったのか、あたりは森閑としていて、それが一層、この小屋の物寂しさを際立たせているかのようでした。

最早、何の気配も感じません。

少女は心細さと不吉な予感に足が竦んでいましたが、意を決して玄関の扉を叩きました。「ごめんください、ごめんください。どなたか、いらっしゃいませんか」

然し、返事はありません。それで、もう一度繰り返しました。「どなたか、いらっしゃいませんか」

矢張、返事はありません。

ふと後ろを振り返ると、辿ってきた月光は明滅を繰り返したのち、すべて完全に発光を止めてしまいました。案内役を失ったいま、元の場所に戻ることさえできません。

少女は寂しさのあまり、いよいよ泣きだしてしまいました。然し、声を殺した、きわめてしずかな泣き様でした。その場に虚しく坐りこみ、両手で顔を蔽っているのでした。

涙は指と指のあいだからとめどなく溢れ、ぽたぽたと床に水玉模様を描きました。

すると、不意にあたりに騒めきが起こりました。それは、自然の唸りのようでした。少女は自分が責められているような感情を抱き、いっときは驚きの為に涙は止まったのですが、ほどなくしてまた涙が頬を伝い始めました。

唸りが収まり、水玉もすっかり乾いてしまった頃、少女はいよいよあきらめ、小屋からすこし離れたところで横になりました。野生の狼に食べられる映像が脳裏に閃き、一瞬背筋が凍りましたが、もう心身の限界だったので、努めて目を瞑ることにしました。

翌朝目をさますと、目の前には空ではなく、丸太の天井がありました。からだを起こすとどうやらベッドの上で、いまのいままで熟睡していたようです。少女は事態が飲み込めず、あからさまに動揺していました。というのも、そこには少女以外に誰のすがたも見当たらなかったからです。きのう扉を叩いた小屋だということだけは何となく確信していました。でも、誰が中まで運んでくれたんだろう?

少女は待つことにしました。親切にしてくれたひとに、お礼が言いたかったのです。

何時間も、何時間も待ちました。然し、何の音沙汰も無く、いよいよ夜になってしまいました。外に出てみると、きのうの月光がふたたび発光していました。この月光のかけらは、毎夜一時間だけ光るのです。いまあれを頼りに進めば、元の場所に戻れるかもしれない。でも…。

少女は逡巡していました。どうしてもお礼が言いたい。そして小屋の中に引き返し、ふたたび待つことにしました。然し、その日の月光発光時間が終っても、誰もやってこないのでした。少女は空腹を感じていました。きのうの夜から、何も口にしていません。少女は空腹を誤魔化すため、ふたたびベッドに潜り、眠ることにしました。そして、ほどなくして眠ってしまいました。

翌朝目をさますと、目の前には青空がありました。「え?」またしても突然の出来事に驚きました。いつの間に放りだされたのだろう。しかし、あたりを見回しても小屋はありません。少女は、何が何だかわかりませんでした。

ベッドで休ませてくれたお礼を言うのはやめました。小屋のありかさえ不明になってしまったいま、ここで待つのも徒労だと思ったからです。然し、ここがどこかさえもわからないため、無事に帰れる保証はどこにもありません。少女は途方に暮れ、立ち尽くしていました。どうしたらいいんだろう。ふたたび不安と寂寞の感情が押し寄せてきました。

不意にお腹が鳴りました。あたりに食べられそうなものは何もありません。少女はその場にしゃがみこみ、ひとしきり泣きました。そして、目を瞑っているうちに眠ってしまいました。

目をさますと、頭上に夕空がありました。小屋の天井ではなく空でした。緩やかに流れる雲を目で追いかけていました。

夜になりました。と同時に、視界の先の地面が光り始めました。少女はまたもや驚かされました。それは紛れもなく月光の道で、まさか遭難の身でこんな偶然があるとは思ってもみなかったからです。

少女はその道を辿りました。どこに出るのかはわかりませんでしたが、とにかく光が消える前にと思って歩きつづけました。

そして、光の道の終点に到着しました。足は棒になり、肩で息をしている有様です。少女は前方に視線を移すと、誰かの後ろすがたを発見しました。「あれは幻?」少女は小屋の一件から、それを錯覚だと勘繰りました。自身の疲弊による錯覚だと。

それでも、これが最後の希望だと思い、少女は声をかけました。「あの!」

そのひとは落ち着き払ったようすで振り向きました。少女とおなじくらいの背丈で、おそらく女の子でした。「このへんに小屋を見なかった?」

小屋のことは忘れるつもりでしたが、どうしても訊ねずにはいられませんでした。ここに自分以外の人間がいること自体が珍しかったのです。

「私よ」そのひとは言いました。「え?」「小屋は私よ」私は彼女の言っている意味がわからず、動揺しました。「あなたの言っている小屋は、私が用意したものよ」彼女はつづけた。「え、それじゃあベッドに運んでくれたのも…」「ええ、私よ」私は反射的に彼女に駆け寄っていた。そして、私は彼女を抱きしめた。「ありがとう、あなただったのね…ほんとうにありがとう…」彼女はすこし照れているようでした。

彼女は口をひらきました。「でも、ごめんね。私の魔術は二日に一回しか使えないの。だから外で目をさましたときは驚いたでしょう。追いだされたと思わせてしまったかもしれないけれど、あそこには初めから誰も住んでいなかったのよ。中途半端な援助で、恥ずかしいかぎりよ。それで、逃げるように去ってしまって…。ほんとうにごめんなさい」「そんな、ほんとうにうれしかったんです。ほんとうにありがとう、ずっとお礼が言いたかったの…」ふたりはふたたび抱き合いました。ふたりの目には涙が浮かんでいました。

「私と一緒に、来る?」彼女は言いました。少女はすぐに頷きました。「いきたい」彼女は少女とおなじで、ずっと一人で生きていました。

彼女は微笑みながら少女の手をとりました。そして、ふたりのあてどない旅が始まりました。


#短編小説

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