2021

日記から抜粋していきます。


◾︎1月

自分の痛みを忘れるということは、受容能力、共感能力を損なうということだ。(2021.1.3)


もうこの世にいない人の言葉というのはこんなにも胸に浸透するものなのか。(2021.1.5)


何かが解体されていく様子というのは、崩壊していく様子というのは、なぜ物憂いのだろう。(2021.1.8)


欲が、目標があってこその人生なら、欲も目標もない人間はどうしたらいいのだろう。(2021.1.10)


どこにいても自分を異物のように感じる。不安と疎外感を常に感じる。他者の眼差しが、邪魔だと、いなくなれと、そう訴えている気がする。責められている気がする。自分が正しいかどうかということはわからず、自分は正しくないかもしれないということしかわからない。(2021.1.11)


自分が何を嫌悪しているのかわからなくなってきた。何に苦しんでいるのかもわからなくなってきた。言葉で傷の存在を訴えても、その深さまでは伝え切ることができない。(2021.1.21)


すべてが換言可能であったら、どんなにつまらないだろうと、と思う。でもきっと、私はそのつまらなさまでをも愛するのだろう。(2021.1.26)


 私は、実名も、詳細な素性も知らない人との記憶を積み上げている。それが空虚なことだとは、思わない。相手がどう思っているかは知る由もないけれど、私は、やっぱり話すことが好きで、私を好きな人のことが、好きだから。(2021.1.30)


◾︎2月

いつから自罰的になったんだろう。全部自分のせいにしてしまう。その方が楽だから。(2021.2.8)


生きている間に、死んでいく友人をどれだけ見ることになるだろうと思うと、耐え難い喪失感に襲われる。おぼろげな記憶しか遺されない。何もかもが、脆く儚い。それゆえの、揺るぎない美しさ。惨めに縋り付き、歯を食いしばり、地を這うことの切実さ。そのすべてを、慈しむことができたなら。

私は、語られなかったものさえ愛している。(2021.2.11)


私にとって重大な事は、誰かにとっては取るに足らない事だ。それは見方によっては、希望でもある。(2021.2.18)


◾︎3月

なぜ好きなのか言葉にするのも億劫なくらいに、好きなものがある。それは生き甲斐であると同時に、死に甲斐でもある。解るかな。(2021.3.21)


書かなければならない。もっと、もっとだ。死ぬまで苦しめ、苦みながら書きつづけろ。(2021.3.25)


◾︎4月

私のことはわすれて構わないので、私の言葉だけ、時折思いだしてくれたら、うれしいです。(2021.4.1)


「あなたの言葉に救われました」、「あなたの言葉に傷つきました」、どちらを言われても嬉しい。それは、良くも悪くも、無視しなかったということだ。向き合わなければ、癒えることはおろか、傷つくことさえ出来ない。(2021.4.15)


許されないことと同様に、許されることにも耐えること。(2021.4.18)


書くことは生きることで、生かすことだった。(2021.4.23)


失いつづけるのに、慣れたくないな。(2021.4.29)


◾︎5月

等価には、考えてみれば当たり前のことだが、「等しく無価値」も含まれる。(2021.5.5)


本当か嘘か、そんなのはどうでもいいじゃないですか。信じたいものを、勝手に信じれば。(2021.5.18)


◾︎6月

救うというのは、絶対善なのだろうか。(2021.6.19)


◾︎7月

誰にでも優しいことは悪いことなのか?断罪されるべきことなのか?(2021.7.18)


◾︎8月

幸せを願うことすら暴力。幸せになることすら暴力。幸せになりたがることすら暴力。(2021.8.17)


現実的なことが言えなくなっていく。夢見ることも億劫になっていく。虚しさが付き纏う。

失っていく過程を思っている。(2021.8.26)


話せば話すほど隔たりが広がるように思う。(2021.8.31)


◾︎9月

会ったこともない人の言葉を思い出す。それはその人が生きていた証拠だから。(2021.9.16)


◾︎10月

理解したい、理解して欲しいというのは、本当に傲慢な態度だと思う。理解?そんなものはない。(2021.10.20)


◾︎11月

満たされているのかもしれない。なにで満たされているのかはよくわからない。それは不純や不幸かもしれず、ともすれば、幻かもしれない。(2021.11.12)


なぜ私は人間なのだろうという疑問には、なぜ私は人間以外ではないのだろうという悲嘆が込められている。その疑問は至って切実だが、健康な人間はそのような疑問を持たないらしい。(2021.11.13)


◾︎12月

「私は優しくない」と公言・宣言することによって損なわれる何か。この何かによって救われたかもしれない誰か、及び好転したかもしれない何か。


「私は優しくない」と他人に認めさせる、認めさせたいと思うことの低劣さ。この低劣さを自覚しているか否か。自覚していて尚、認めさせたいと思うのか。

「私は優しくない」からといって、他人を攻撃してはならない。他人を攻撃していい理由などあってはならない。


自分の行動、言動を他人に悪意だの善意だのと推量、審議されることに対する嫌悪感。そんな時にはこう言えばいい、「どちらでもない」、と。


あるいは、「どちらもだ」、と。(2021.12.23)


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詩や小説以外にも、散文形式で日記を書いていました。そして、来年も書いていきます。


いや、死ぬまで書いていきます。


2021年、お疲れ様でした。来年もどうぞよろしくお願いします。


#雑記








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