追憶の廃墟

     やあ、久しぶり。・・・・っていっても、いるはずないよな。
     気配がしただけさ。ああ、また見えただけだよ。あの日々の残像みたいなやつがさ。

     茹だるような暑さ、晴天を満たす蝉時雨、花と草木が綯い交ぜになった夏の匂い。八月半ばの昼下がり、僕はもう随分昔に出た高校を目指して一人で歩いていた。
     道中、想いを馳せる事柄は数え切れないほどあった。想いを馳せるといっても今となっては新鮮なことじゃない。ここを自転車で走っていたときのハンドルを握る掌の感触だとか、そこの曲がり角を進んだ先にある呆れるくらいに広い公園だとか、うちの正門のすぐ前にある鄙びたバス停だとか、そんな風景やら情景やらがリマインダーになって、まるで記憶自体が自我をもったように僕の頭に訴えかけてくるんだ。思いだしたかったことも、思いだしたくなかったことも。

     坂を越え、橋を越え、頬や額や、腕や背中に尋常じゃないほどの汗を滴らせながら、途方もなくつづくかつての通学路をただひたすらに歩く。百日紅の花が視界を過ぎる。夏を象徴するようなその紅色に鬱陶しさと感慨深さを同時に憶える。高浜虚子の句を思い出す。『炎天の地上花あり百日紅』、だったか。

     引き摺るような足取りで、ようやく母校の正門前まで辿り着くと、一気に肩の力が抜けた。安心と、もう一つは憐憫か。

     ここは七年前に廃校になった。僕はかつての担任づてにそれを知った。実際に訪れてみるとそれは事実だった。その光景を目の当たりにして泣いたり乱れたりすることは特になかった。それは学校に、この校舎に深い思い入れがないことを裏づけるだろうか。愛校心の強い一部の元生徒からは冷淡なやつだと蔑まれるだろうか。だが、今になって次第にわかってくる。僕が愛着を抱いていたのはこの校舎ではなく、この校舎にいたあの子と共に過ごした時間だ。しかし、こうして足を運びつづけるということは塵ほどの愛着くらいはなくはない、といえるのだろう。気づかないだけで知っていたことなんてザラにあるのだ。お盆の墓参りとは似ても似つかないが、この時期のこの突飛な行動は年に一度の慣例になっている。現にこうして無人の校舎を前にするのはこれで七回目だ。さっきの百日紅でも摘んで持ってくればよかった。

     至るところに取り付けられていた監視カメラも廃校と同時に撤去されたのだろう。明かりもついておらず、ひとけもなければ僕以外の足音もない校舎は廃墟同然だった。ロータリーの中央にある噴水はもう噴水と呼べる状態ではなくなっていた。どこを見渡しても殺風景の空間に乾いた笑いが込み上げ、同時に浅い溜息が漏れる。

「ははは、また一段と寂しくなっちまったもんだなあ」

     かつての噴水を横切りそのまま前方を目指す。伽藍堂になった食堂のすぐ向かいに、放課後によく出入りしていた図書館棟があった。扉は相変わらず開放されていた。
     スニーカーのまま中に入り、すぐ右向かいの無駄に長く広い踊り場と二階につづく階段を見比べる。この棟は二階建てだ。上は確か自由スペースで下が蔵書と貸出スペースだったな、と食堂と同じように伽藍堂になった空間を前にして思う。図書館ではなくなったが、ここを今も図書館と呼ぶかどうかは個人の自由だ。

     蔵書があった一室の扉を開ける。この扉は開け閉めのとき、やけに軋む音がして出入りのときに注目の的になっていつも気まずい思いをしたんだよなと、この扉をしつらえた顔も名前も知らない人間に恒例のように毒づく。相変わらず、聞こえよがしのようなウッド製の啼き声が鼓膜と窓に響いた。
     放課後、日課のようにここに足を運んでは、必ず僕より先にいるクラスの違う一人の女子と目礼を交わし、踊り場のベンチに肩を並べて座り、完全下校の鐘が鳴るまで話し込んでいた。僕も彼女も部活に入っておらず、帰りのホームルームが終わればこの図書館棟に顔を見せるのが常だった。
     どういう経緯で話すようになったのかは今となってはよく覚えていないが、彼女から話しかけられたということだけは覚えている。僕がいつも通り、文学の棚を物色しているときに「私もその人の作品好きよ」、と呟くように後ろから言われたのがきっかけだった。それからぽつぽつ話して、本の趣味が合うことで意気投合して、互いの持っている本を貸し借りしてはこうして放課後この踊り場のベンチに座り込んで、感想交換会やら世間話やらするようになったんだっけな。なんだよ、白々しくて気持ちが悪いな。はっきり憶えているじゃないか。

     内向的で非社交的な性格のために、休み時間は自分の世界に閉じこもったように一人で読書に耽っていた。クラスにも学年にも顔見知りはそれなりにいたが、親友と呼べるまでの相手は彼女と知り合うまではいなかった。つまり彼女が僕の高校生活においてはじめての友人であり、親友であり、盟友だった。ということを知り合って半年ほど経った頃に彼女に打ち明けると、彼女は珍しく悪戯っ子のような表情をした後、僕の瞳を真っ直ぐ見つめて、「私もよ」、と今度は屈託のない微笑みを返した。
     "文学"棚があった位置に立ち、追想に身を沈める。君といた放課後だけが僕の人生だった。

     外に出ると夕立が降った後なのか、雨の匂いに噎せてしまった。感傷に浸った後の夕暮れは胡散臭いほどに神々しかった。
     付き合っていたわけでもなければ、付き合いたかったわけでも、付き合おうとしていたわけでもない。それを恋愛に興味がない互いが認めて合っていて、心地良い関係だったな。

     なあ、君は今、どこにいるんだ?

     七回目になる台詞をひとりごちる。
     濡れた校舎を振り返ると、まるで今の心の中みたいだ、と思った。死ぬときはこの廃墟の、あの棚かベンチの前がいいな。なんて言ったら、君は笑って、はぐらかしてくれるだろうか。くれるよな、きっと。
     君の横顔が浮かぶ。そのたびに、まだ生きていようと思う。
     また来年もここに来ることが、君を忘れないことになるから。


#小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?