うまれなおし

私は、生れた時から言葉を知っていた。自分の事はよく知らないのに、何故か言葉だけは知っていた。話そうと思えば話せた。でも黙っていた。生れるなり流暢に言葉を操る姿を見せれば、両親は腰を抜かしてしまうと思ったし、気味悪がられると思ったからだ。だから私は、適当な年齢の時に適当な事をしようと、それも生れるなり、ものの数秒で決断をくだしたのだった。

保育園は退屈だった。退屈しのぎに私は夢想に耽るようになった。頭の中で、ひたすら非日常を思い描いていた。あまりに自分の世界に閉じこもっているものだから、まわりのおとなからは、よくぼうっとしているといわれた。ぼうっとしているが故に話しかけられてもすぐに反応できない事が日常茶飯事だったから、さぞかし不思議な子だと思われた事だろう。

小学校も退屈だった。私は授業中、頭の中で詩や小説を飽きもせず書きつづけていた。他にも綺麗なメロディや、幻想的な建築物を想像したりして過ごした。小学校レベルの授業なら、いきなり指名されてもすぐに問いに答えられるだけの頭脳があった。私は、図画工作と、音楽、理科、それから国語の授業が好きだった。国語の、物語のつづきを自分で想像して書く、というのが私のお気に入りだった。

外は好きだけど、からだを動かすのは苦手だった。だから、体育や運動会は無論嫌いだった。私は保健委員だった。健康観察簿というのがあって、毎朝クラスメイトの健康状態を記入して、二時間目の休み時間までに保健室に提出するというのが主な役割だった。でも、私はしょっちゅう体調を崩していた。いわゆる病弱だった。これで保健委員をやっているのだから可笑しなものだろう。授業中に嘔吐するなんて事はさすがになかったけど、生れつき喘息気味で、よく嘔吐感を催したものだ。太陽の陽射しにも弱く、意識を保つのもやっとだった。自分の病弱を免罪符にするのは気が引けたので、どうしても耐えられない場合は止むを得ず見学したり、保健室で少しだけ休ませてもらったりした。

休み時間は教室、昼休みは図書室で過ごした。各授業のあいだにある十分休憩の時には、特に何もせず、ぼうっとしていた。でも夢想する事にも段々飽きていたので、保育園の頃よりは、まわりの子から話しかけられた時にすぐに反応できるようになった。

中学受験に興味がなかったので、塾には通わなかった。両親からの何気ない提案だったが、私はやんわりと拒否した。幸い、何も言わず了解してくれたのでほっとした。家と目と鼻の先にある中学校で充分だった。遠くに通うとなると、私のからだのこともあるし、私の注意散漫のこともあるから。

卒業式が終り、皆がそれぞれ名残惜しそうに会話に興じる中で、私は図書室の先生に会いにいった。女のひとだった。椅子に座って本を読んでいると、何読んでるの、とよく話しかけてくれた。そのお礼が言いたかった。扉をこわごわと開ける。いない、おかしいな、と思ったのも束の間、後ろから「わっ」と驚かされた。先生だった。「なーにしてんの、みどりちゃん」私の名前はみどりという。翡翠の翠、一字でみどり。「あの、先生にお礼言おうと思って…」「えっ、なになに。なんのお礼?」目を見開いている。先生の反応はわざとっぽくなくて、友好的で、そしてかわいい。「いつも気にかけてくれたというか、話しかけてくれたから、それがその、嬉しかったから、だからお礼を…」恥じらいながらに応えた。すると先生は「まあ!わざわざそれを言いに来てくれたの?って、わざわざって私ったら失礼ね。ううん、こちらこそだよ。みどりちゃんかわいいんだもん。人って、話してみるまでわからないでしょ?私はわからないままにしたくなくて、まあこれは私のエゴだけどさ、初めてここに来てくれた時から、気になってたんだ。ほら、図書室来る子って、ちょっとミステリアスな感じするでしょ?その中でも、みどりちゃんはさ、なんか雰囲気がすごかったんだ。私がみどりちゃんと同い歳だったら、話したかったし、遊びたかったのにって、思ってたくらいだよ。とにかく、話せて嬉しかったのは先生もだよ。ありがとうね」先生は私をやさしく抱きしめてくれた。私はとても嬉しかった。嬉しさと寂しさがぐちゃぐちゃになって、頭が真っ白になって、堰を切ったように泣いてしまった。学校で泣くのは、人前で泣くのは、これが初めてだった。先生は頭をやさしく撫でてくれた。何度も何度も撫でてくれた。嗚咽が収まったところで、私はやっとの思いで口を開いた。「歳が同じじゃないと、近くないと、友達にはなれないの?私、先生のことずっと友達だと思ってたよ。これからも、そう思いつづけるよ。だって、先生といる時が、いちばん楽しかったから。先生と過ごした時間は、私の、かけがえのない宝物だから」先生はしばらく黙っていた。何かまずいこと言っちゃったかな、と思い視線を上げられないでいると、嗚咽が聞こえた。私ではない、先生のだ。先生は嗚咽混じりに言った。「そうだね、そうだね。友達に歳なんて関係ないね。性別も関係ない。生まれも育ちも関係ない。みどりちゃんと友達でいたい。これからも、たくさん話したい」今度は私が先生の背中に腕をまわした。華奢な腕だけど、精一杯力をこめて。「うん、たくさん話そ。たくさん、たくさん。でも、友達に先生っていうの、何か変だね。私はその、好きだけど、先生の名前、よかったらおしえてほしいな…」「みづき。美しいに月で、美月っていうの。みづきちゃんでも、そのままみづきでも、好きに呼んでいいよ」頭の中でその名前がしばらく谺する。みづき。みづき、みづ、き。みづきみづきみづき、みづき…。「みづき」声に出して言ってしまったようだ。「ふふ。なあに、みどり」何とはこっちの台詞だ。いきなり呼び捨てにされたら心臓に悪いではないか。嬉しいけど。嬉しかったけど。でもああ、ひとの事言えないんだ。「好きだよ」私は、先生の目を見て言った。「私も、好きだよ」先生も、私の目を見て言った。最終下校時刻を報せる鐘が、鳴った。

正門まで先生と並んで来ると、先生は不意に思いだしたように小型手帳を取り出し、それの最後のページを一枚破いて、何やら書き込んで、私に渡した。見てみると、先生の名前、住所、メールアドレス、それから電話番号が記されてあった。「先生、これって」「遊びにおいで、週末とかさ。先生のうち、本いっぱいあるから。すごいんだよ、もう、棚から溢れちゃって。一人暮らしだから、ふたりきりで話せるよ」そう言う先生の顔は、どこか意地悪そうだった。でも私は、その場で跳ね上がってしまいそうなほど嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、倒れてしまいそうだった。「ほんとに行ってもいいの?」こわごわと訊く。「いいのよ。それに、みどりしか呼びたいひといないもの。家に誰かをあげるのも初めてよ」私の頬は忽ち紅潮した。「みづき」目の前にいるたった一人の友達の名前を呼ぶ。「えへへ」美月の顔は、私以上に紅潮していた。歩道橋を渡り、信号の前で別れた。信号は赤になり、互いの姿が地平線に呑み込まれてしまうまで、手を精一杯振りつづけた。その夜の月は、きれいな満月で、さえざえとしていて、本当に美しかった。

私は、中学、高校、そして大学へと進学した。そのあいだも、美月の家へ毎週のように遊びにいった。水族館に美術館、プラネタリウムに花畑、登山に海と、色々な場所にいき、色々な体験をした。私は司書教諭、つまり美月のようになりたくて、そのための勉強をし、資格を取得した。その事を美月に報告すると、とても喜んでくれた。

職に就き、やがて一人暮らしを始めた。一人暮らしというのがどういうものなのか一度は経験してみたかった。というのも、美月がしていたから。疎遠になったわけではなかった。寧ろ仲は以前にも増して深まっていった。泊まりにいったし、泊まりに来てくれもした。長期休暇の時は、毎日のように一緒にいた。美月の部屋は本人が言っていた通り、本がたくさんあった。絵本に図鑑、画集に小説、辞書、哲学書と様々な本で犇めき合っていた。美月は本の他に、絵を描くのが好きなようだった。

幸せな時間だった。

美月と私は、倍以上歳が離れている。だから、美月のほうが私より先に死んでしまう可能性は高い。一人になったらどうしよう。そんな事を時々考える。でも、私には記憶があるから。美月といた記憶が。記憶がある限りは、私は決して一人じゃないから。美月にとっても、同じ事だ。

いつのまにか、美月の背丈を越し、手のひらの大きさも越し、腕も逞しくなった。美月が小さく見えた。いや、歳月と共に本当に小さくなっているのか。私のからだで、美月をすっぽり包んでしまえそうな気がした。ある日、美月の家に泊まりにいった時、天井をみつめながら美月はこう言った。「私、みどりに会えて幸せよ」いきなり何を言いだすのかと思い内心狼狽したけれど、やはりそれ以上に嬉しさが強かった。「私も幸せよ。ずっと、ずっと好きよ、美月」私は美月の布団に潜り込んだ。そして、その小さなからだを、私のからだで包んだ。手のひらに、心音を感じた。生を感じた。そのまま、深い眠りについた。

夢の中で私は言った。「私は美月に会えたから、もう生れ直したいとは思わない。前世の記憶は無いけれど、私はたとえ生れ変わってしまっても、美月がいるこの世界の、この私になりたい」

朝、目をさますと、寝ぼけまなこの美月から同じ事を言われて、笑ってしまって、私は、もう一度彼女を抱きしめた。そして、あの頃私にしてくれたように、愛おしく撫でた。「生れ変わっても、一緒だよ」


#短編小説

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