中山英子

オリンピアン(スケルトン競技)。地域創生プロデューサー。文化(アート、音楽)・スポーツ…

中山英子

オリンピアン(スケルトン競技)。地域創生プロデューサー。文化(アート、音楽)・スポーツ専門。オリンピック・パラリンピックには98年長野から21年東京大会まで記者、選手、大会運営と3つの立場で関わり、東京大会では市スポーツレガシー活用した自治体コンサル等実施。元信濃毎日新聞記者

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1年前の昨日、イタリアチーム🇮🇹を羽田空港で迎え、諏訪湖に連れて行き、翌朝からトレーニングをスタートした…37人のボートチーム🚣ここからメダリストが3組、金1銅2かな?出た(^^) 1年間早かった…全力で色々やってた。まだ疲労が抜けてないような… 今日は鈍行列車🚃で長野へ

    • 選手引退→「電通」に飛び込む

      競技選手を引退した2016年12月末、引退直後に大学時代に活動した「早稲田スポーツ新聞会」の後輩f君から、東京オリンピック・パラリンピックの仕事の募集をFacebookメッセンジャー通じて紹介を受けました。早稲田関連のスポーツに卒業後も愛が深いOBOGが多く、ありがたいことに私の競技活動を応援、案じてくださった方が多数おり・・・足掛け19年も頭から滑り続け、納得してほっとし、先のことなどまったく考えずにいた私でしたが、とりあえず、世の中に戻らないと・・・と、JOCの制度も活用

      • 引越しのお知らせ

        長い間アメブロで、「スケルトンが止まらない」というタイトルでブログを書いていたのですが、スケルトン競技をすることは、2016年末で終わっていたわけでした。 競技引退直後に東京2020オリンピック・パラリンピックの準備に係る仕事に縁があり、生きていくために一念発起し、東京OLとなったのが2017年6月。コロナをまたいで4年半、考えたこともなかった広告代理店(電通)にて必死で働き、昨年9月に東京大会を無事終え、昨年末日に契約満了で退社。そののちのキャリアについてイメージがわかず

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