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【フランス】ランスのノートルダム大聖堂

場所:シャンパーニュ地方、マルヌ県ランス
時代:5世紀、13世紀以降再建

ランス大聖堂外観
夜のランス大聖堂

11世紀以来、ほとんどのフランス国王がここで戴冠式を行った場所として知られています。ジャンヌ・ダルクの活躍で国王になったシャルル7世や太陽王ルイ14世、フランス革命で処刑されたルイ16世もここで戴冠しています。第一次世界大戦でドイツ軍の爆撃により壊滅的な被害を受けましたが、戦後アメリカのロックフェラー家などの援助で修復されました。聖堂の大きさは全長約149m、鐘楼の高さは87mあり、2303体の彫像が含まれています。

大聖堂前のジャンヌ・ダルク像
ランス大聖堂出入り口
ランス大聖堂で戴冠式を行った歴代フランス国王

10世紀の年代記によると、5世紀初めにランス司教ニケーズによってローマ浴場跡に最初のランス聖堂が建設されました。5世紀末か6世紀初頭(496年から502年の間のいずれかのクリスマスの日)には、ここでフランク王国のクローヴィス1世がランス司教レミギウス(聖レミ)から洗礼を受け、キリスト教へ改宗したとされています。ランス大聖堂の床には、発掘調査で洗礼施設跡が発見されたことで、ここが洗礼を受けたという場所だということを示すプレートが存在します。

クローヴィスの洗礼場所を示す石のプレート

しかし実際には、メロヴィング朝を創設したクローヴィスについての記録は、彼の死後30年経ってから書かれたトゥールの司教グレゴリウスの年代記がほとんど唯一のものであるため、どこまでが史実なのか、また本当にクローヴィスの洗礼がランスで行われたのか確証はないそうです。歴代の国王の戴冠式がこのノートルダム大聖堂で行われることになったのは、9世紀のランス司教ヒンクマールがクローヴィスの受洗場所がランスであると主張したためと言われています。古い聖堂は1210年に火災で焼失したため、1211年から再建が開始され、完成したのは15世紀後半だったようです。その後もフランス革命や第一次世界大戦で破壊されましたが、再建され現在に至ります。

大聖堂裏から

ランスはパリの東方約140kmのところにあり、パリ北駅からラン(Laon)乗換で簡単に行くことができます。冬だったからかもしれませんが、巨大な大聖堂の割には訪れる観光客の数は少なく、町の中も静かでのんびりと散策できました。ちなみに同行していた妻はカトリック信者なので、訪問国では一緒にあちこちのカトリック教会を訪れますが(私はミサにはめったに参加しませんが)、当日ランス大聖堂では司教自らミサを行い、終了後には信者の方と一緒にセルフィーに応じていただけるという、とても親しみやすい司教様でした。またランスにはもうひとつ、ランス大聖堂のように有名ではありませんが、クローヴィスに洗礼を行った聖レミの墓があるサン・レミ聖堂もあり、ここも訪れることができました。

司教様とセルフィー (おまけ)
ランス・ノートルダム大聖堂の位置

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