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「子供時代の考古学」の30年

子供をめぐる考古学は、この30年の間に大きく前進し、その内容と方法とを刷新しながら成長してきた。ただし、残念なことに(あるいは例によって)、日本の考古学は、そうした国際的な研究の動向から、ほぼ完全に取り残されているといってよい。そこで、ここでは、子供(と若もの)をめぐる「あちら」の考古学がどのように進展しつつあるのか、ごく簡単に紹介して、諸賢の参考に供したいと思う。手始めに、研究のマイルストーンとなった四つの論文と一つのシンポジウムについて概略を記し、研究史の流れを大づかみできるようにしておこう。

1989年、それまでにも散発的かつ断片的な研究は試みられていたが、子供(と若もの)をめぐる包括的な考古学研究を初めて提起し、明確な問題意識をもっての組織的な取り組みを訴えたのが、ノルウェーの女性考古学者グレーテ・リレハンメルが1989年に発表した、" A child is born "と題する論文である(Lillehammer 1989)。
リレハンメルは、社会史、精神史、社会人類学など当時の異分野の研究成果を背景に、「子供の世界とは何か」、それはなぜ、どこで議論されてきたのか、議論されるべきなのか、そのことを巡って考古学にはいかなる挑戦が求められるのかという問いを立て、その問いに対して次の八つの答えを示した。

  • 子供と子供の世界は生物学的文化的に特殊なカテゴリーであり科学的分析の対象として見過ごされてきた。

  • 子供の世界の考古学的証拠を発見するためには大人の世界の知識が必要である。

  • 自然環境と文化環境は、子供の健康、ケア、維持、社会化に不可欠な要素である。

  • 子供時代は子供と大人に共通する経験であり、記憶と結びついている。

  • 子供の遊びは、子供の世界と大人の世界の間の文化的伝達の媒体として機能する。

  • 玩具に反映される学習や楽しみの側面は、子供の遊びが物質的記録において子供を区別する主要な要因であることを示す。

  • 技術研究は、世代間の文化伝達を理解し説明するための中心的なものである。

  • 石器技術は、考古学的資料における学習と模倣のプロセスを研究する上で有望な研究分野であると考えられる。

旧石器研究者であるリレハンメル自身によれば、博物館でフリント製の石器を分析していく過程で、最後に残った三つ目の奇妙な資料の山について思いを巡らせるなかで、子供に焦点を当てることに思い至ったという。リレハンメルのこの論文を契機として、「昔は大人ばかりだったのか」という問いかけが、欧米の考古学者の間に、次第に浸透し始めていった。

次のマイルストーンとなったのが、アメリカの女性考古学者キャサリン・カンプが2001年に発表した論文 " Where Have All the Children Gone!: The Archaeology of Childhood " である(Kamp 2001)。

カンプはこの論文で次のように説いた。考古学は、子供時代を主に遊びと学習のイメージのなかで描き、女性と同様に、その経済的貢献を軽視し、家庭という目に見えない領域に追いやってきた。しかし、ジェンダーと同様、年齢区分とその役割は文化的に定義されたものである。想定するのではなく、調査する必要がある。西洋の近代的モデルから導き出された特定の年齢区分が、過去や他の文化における社会的な役割に対応すると単純に仮定することはできず、むしろその逆である。どの社会にも、独自の子供時代の定義があると考えるべきであり、経験的な考古学的証拠に基づいて、子供時代の地域的・時代的な定義を確立しなければならない。ジェンダーを考慮した考古学が過去に対してより正確で興味深い視点を提供するように、新生児から高齢者までの全ての年齢を視野に入れた考古学は、過去の文化の営みを完全かつ明白に照らしだすことができるだろう。過去の失われた子供たちの探索は、ジェンダー研究が見出したのと同じような成功と挫折を経験すにことになるにちがいない。そして、いったん「子供たち」を探し始めたら、他の年齢層にも目を向けざるを得なくなるだろう。次の問いは「老人はどこにいった?」かもしれない。

子供の考古学は、その内容を深化させながら裾野を広げ、独立した学問分野として成長していった。考古学的記録における子供の探求には、学問領域を超えた学際的取り組みが必要であるとするリレハンメルの意見を反映する形で、2005年には汎ゆる分野の学問を網羅する国際的かつ学際的な学会であるSociety for the Study of Children in Past(SSCIP)が設立されるに至った。

2010年、こうした動きを受ける形で、リレハンメルは " Archaeology of Children " と題する論文を発表し、子供の考古学への「現象学的アプローチ」を提案するなかで、奴隷貿易をめぐる研究においてしばしば無視されてきた児童奴隷の問題に言及し、強い肉体と労働能力を所有する成人男性にのみ興味を集中させることは、奴隷の実態の研究を不明確で混乱したものへと導くと批判し、子供の考古学の必然性と重要性を説くことから議論を出発させている。この論文の内容は多岐にわたるので全容についの紹介は避けるが、筆者にとって印象的なのは、この論考においてリレハンメルが、子供の考古学はジェンダー研究の影、母子関係をめぐる研究から脱却し、考古学の独立したテーマとして成長しなければならないと主張している点である。
 2015年、リレハンメルは " 25 Years with the "Child" and the Archaeology of Childhood " という短い論文を発表し、1989年以来の子供の考古学研究を総括し、最初に示した八つのポイントを再確認した上で、当初予想していた以上に、子供の考古学が、考古学のみでは成立し難い学際的な枠組みとなったことを強調し、国際的な研究プロジェクトの構築と、「子供時代の世界考古学遺産」の設立を呼びかけた。

 このようなリレハンメルの呼びかけに答える形で、2019年秋、オーストラリアのブリスベンに考古学、人類学、霊長類学、心理学の研究者10余名に哲学者のキム・ステルリニーが加わったワークショップで、次の四つの問題が議論された。

  1. 人類の進化の中で、子供たちは所属するコミュニティ生活の中でどのような社会経済的な役割を果たしたのか。

  2. 先史時代、とくに過去30万年の間、子供たちはテクノロジーのダイナミックな変化をめぐり主導的な役割を果たしていたのではないか。

  3. 過去の人類や霊長類のデータを用いて、数千年前の子供がどのように学んだかを検証できないか。

  4. 過去の子供たちによるイノベーションのパターンと現在の子供たちの関係

このワークショップで議論された広範な課題は、参加した研究者たちによって興味深い論文として発表されており、いずれ紹介したいと思うが、特筆すべきは『進化の弟子-ヒトは学んで人になった』(2013田中泉史・中尾央他訳)を書いた哲学者キム・ステルリニーが、いわば行事役として参加していることであろう。先にリレハンメルが指摘した通り、子供の考古学には、考古学単体では成立し難く、広範で統合的な分野横断的研究が求められており、それが実践されているということである。モノの編年研究に埋没する傾向の強い日本の考古学にとって、良いお手本である。

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